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ちょっと知的な雑学&トリビア

並行宇宙

2003年6月30日 【コラム
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 科学誌の特集に「並行宇宙は実在する」とあった。ちょうど「平行」宇宙が趣向となった山田正紀氏の『ミステリ・オペラ』を読み終えたところ。山田作品において平行宇宙は、エヴァレットの多世界解釈で説明される。
 ものごとの状態を確率で描く量子力学。量子論的サイコロを振ったなら、結果は6つの目の可能性が重なった状態となる。観測者が観測するとき、6つの目のうち1つに収束すると考えるのが古典的解釈。エヴァレットは、観測者自身も確率でとらえようと唱えた。3の目が出たなら、それはたまたま3の目が出る世界にいただけのことで、3の目に収束したとは考えない。6つの目それぞれの世界が実在するととらえる。
 こうした量子力学の多世界解釈から生じる並行宇宙は、じつは4つのレベルで考えられる並行宇宙のうち、レベル3だという。レベル1の並行宇宙はもっと単純で、ぼくたちが観測できる宇宙の外側に、別の宇宙があるとする。この考え方では、もっとも近いもうひとりの自分は、10の10の28乗メートル離れたところにいることになるそうだ。観測可能な宇宙は1年に1光年ずつ広がっているから、はるか未来に遠い子孫が、もうひとりのぼくを観測することが原理的にはありえる。天文学的以上にはるかな未来だけれど。
 レベル2の並行宇宙になると、観測できる可能性はない。最新の宇宙論によれば、宇宙はかつて9つの空間次元があったとされている。うち3次元が観測できるようになったのが現在の宇宙で、別に4次元が観測できる宇宙などさまざまな宇宙が生まれた可能性がある。これがレベル2の並行宇宙。さらにレベル4の並行宇宙もあり、こうなると物理法則そのものが違っていると仮定される。
 あまたの並行宇宙に、おそらくは無数にいる自分たち。だけどその中から、この宇宙に生きるのはたったひとり、この自分であることに変わりはない。雑誌から目をあげ、この世界をあらためて心に刻んだことだった。

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15 comments to...
“並行宇宙”
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小橋昭彦

最新理論をまるめて表現するのは、難しいですね。ややこしかったかも。原著論文はMax Tegmarkの「Parallel Universes」から、関連論文を含め情報をたどれます。ちなみに山田正紀氏『ミステリ・オペラ』は傑作です。表現は「平行」宇宙となっています。意図があってかどうかはわかりません。パラレル・ワールドという言葉の延長線上かな。現在の「並行」宇宙は、マルチバースって呼ばれています。映画「ザ・ワン」でもそうよんでいるようですね。平行か並行かはややこしいですが、観測できたり交わったりするなら狭義の「平行」ではないかな。さて、エヴァレット解釈については、「エヴェレットの多世界解釈」が丁寧です。「エヴェレット解釈」もどうぞ。ところで、松岡正剛さんの書評『もう一つの宇宙』でも引用されるウッディ・アレンの言葉、もとはどこにあったんでしょうね。「目に見えない世界があるのはまちがいない。問題は、それがミッドタウンからどれくらい離れたところににあって、何時になったらオープンするかということだ」。いかにもアレンらしい。調べがつかなかったので利用しませんでしたが、「10の10の28乗メートル離れたところ」っていうのが答えのひとつかもなんて思いました。


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大島

「平行宇宙」という概念を興味のない人に説明するのは
たしかに難しそうです。
しかしSF好きの私には最高の話題でした。
ところで「レベル3」については書いていなかったけど
どんな宇宙なんでしょうね。
早速調べようかな


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森田 彰

霊の世界とか、地獄、天国とかをこういう構造と結びつけて説明できないでしょうか?(この宇宙で死んだ人の霊は、別の宇宙のその人の中で生きるとか?)
               森田


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舟橋

どーも、お久しぶりです。
うちも第二子が生まれててんやわんやです。

ちょっと重箱の角ですが

>観測者が観測するとき、6つの目のうち1つに収束する
>と考えるのが古典的解釈。

あまたある量子力学解釈において、「古典的解釈」って
呼ばれるものは特にはありません。エヴェレットだって
結構古いし。物理現象としての波束収束(もしくは収縮)
を仮定するのは、フォンノイマンの解釈くらい。
#個人的にはボーア解釈(≒コペンハーゲン解釈)で
#も、物理現象としての波束の収縮を受け入れている
#かどうか怪しいと思う。


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小橋昭彦

舟橋さん、お久しぶりです。

>あまたある量子力学解釈において、「古典的解釈」って
>呼ばれるものは特にはありません。

そういえば、そうですね。コペンハーゲン解釈と書いちゃうとそれで説明が必要なので、便宜的にエヴァレット以前の、という意味で古典的と書いちゃいました。いまもコペンハーゲン解釈が古びたとはいえないし、よけいに。訂正します。


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小橋昭彦

大島さん、すみません、順序がテレコになってますが、レベル3というのが、多世界解釈によるものです。

森田さん、霊についてはよくわかりません。仮に現世でも触れることができるものなら、並行宇宙とは別のものと思います。レベル1以外は、並行宇宙とは交流できないので。

もっとも、時間をひとつの世界の中の流れとしてではなく、静的なひとつの並行宇宙から次の静的な並行宇宙への移り変わりとしてとらえることは可能なようです。明日の世界が今日の世界とは違う並行宇宙ということはありえます。もっとも、それでも両者の交流はありえませんが。


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いしだ たかし

 海外に出かけていてご無沙汰していましたが、しばらく前にはシマックの都市が出ていたり、今回の話題だったりしてSF色が強く個人的にはとても楽しいです。

 物理法則が異なる宇宙の話しというと、ジャックヴァンスの短編が昔SFマガジンにありました。
 アシモフの神々自身は平行宇宙間でエネルギーポンプを組み上げる壮大な話しでした。
 平行宇宙ものの古典と言えばブラウンの発狂した宇宙が有名です。結構、いろいろありますね。

 映画では歴史がリライタブルな単一世界という解釈と思われるバックトクザフューチャーも一種の多元蓋然性世界観では?


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舟橋

>コペンハーゲン解釈と書いちゃうとそれで説明が必要なので、便宜的にエヴァレット以前の、という意味で古典的と書いちゃいました。

あの、いつものコラムの長さでは、そうせざろう得ないんだろうなぁとは思いつつも、量子力学の解釈問題で修士号を取ったえせ専門家としては、思わず突っ込んでしまいました(^^;

なんか、蛇足の蛇足で恐縮なんですが

エベレットのように記述されるであろう全部の世界を実在としちゃう、というのと、フォンノイマンや超選択則のように観測したその世界のみが実在と考える両極端じゃない解釈も結構あります。
van Fraassenの様相解釈では、観測しうるであろうすべての世界を可能世界として記述して、そのうち観測されたものを「現実化した世界」とするだけで、観測されなかった可能世界のその後は論じないなんていうのもあります。
あとは、かなりラジカルで、徹頭徹尾ニュートンちっくな世界観を保持するものとして、ボームの解釈というのもあります。波束の収束は全くないけれど、多世界もないという代物です。

どの解釈を採用するにせよ、いろいろ面白いSFとかかけるんだろうなぁ。そういう意味では、物理理論って、解釈の幅があって奥深いですね。


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長谷川 綾子

私は先生のお情けで物理の単位を取った経歴があり
平行宇宙という言葉も概念も初めて聞きました。
平行宇宙は物理理論をきちんと学んできた人と私のような素人が肩を並べてお話しすることができ、いろんな方向に話が発展していく分野だと思いました。同時に悪い人が悪用できる分野でもある魅力的??な分野だと感じました。

だからもしかしたら物理学の言葉を使った最も物理学から遠い分野だから私も発言できるのかなと直感ですが・・・・感じました。


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小橋昭彦

>フォンノイマンや超選択則
>van Fraassenの様相解釈

なるほど。今回そっちの方面には足を踏み入れなかったので詳しくないのですが、これらはいわゆる「人間原理」の一種なのでしょうか。

人間原理については、いちど何らかの形でとりあげてみたいと思ってもいたり。これから勉強ですが。


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ふなはし

なんか、しつこく、かつ細かくて恐縮ですが(^^;

フォンノイマンの解釈は、間違えなく人間原理を含んでいるといえるかと思います。
ただ、それ以外の解釈は、おそらくほぼ100%、人間原理を否定するスタンスを取っているようです。
というか、フォンノイマンの解釈がそれだけ強烈だったのですが、当時から「観測者が観測結果を決める≒観測する人間が世界を創る」という側面がどうしても受け入れられなかったようで、その後の他の解釈を作る人間にとっては、それをいかに取り除くかがポイントになっていたようです。
そのある種の試験課題として、その解釈が「観測問題」や「シュレディンガーの猫」をどう解けるのかで、その優劣が決まって来ているようです。

#そういう意味では、多世界解釈もそういう側面が大きいです。この二つの試験問題をそれなりに高得点でクリアした解釈の一つですので、今も高く評価されているようです。


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長谷川 綾子

私は幼い頃「悪いことをすると必ず神様は見ていますよ。」という言葉をかなり大きくなるまで信じていました。だからこっそりお菓子を食べる時にはきょろきょろ周りを見回して取ったりしてました。

それでかなり先になるとしても

「観測可能な宇宙は1年に1光年ずつ広がっているから、はるか未来に遠い子孫が、もうひとりのぼくを観測することが原理的にはありえる。」という点には感銘を受けました。

友人たちにメールすると大まかにですが以下のようになりました。

科学的思考と単なる想像力の産物とが渾然一体となって飛び交う怪しくも面白い分野はアインシュタインの
相対性理論  カモフの宇宙論もそうである。

平行宇宙について
量子力学において観測した瞬間に確立が収束するというのは言葉のあやに過ぎないと思う。

量子論においては物質の存在を確立関数で表現するために存在そのものが確立に支配されているような解釈も生じますがそんなことはありません。存在するかしないかは明確です。

平行宇宙において「もしあの時に別の道を踏み出していたら・・・。」と別の自分の可能性を考えることが出来て楽しいと思います。
しかし科学としてはナンセンスだと思います。

これは小橋さんを非難するものではありません。
私の直感とかなりの数学的な訓練が必要な苦手分野が
怪しく交錯できる分野もあるのかと愕いたしだいです。


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とけい

名前は忘れましたが、ある著名人が、ゆめものがたりとして、超高性能の望遠鏡で、反射する地球の光をとらえることが出来れば、過去の映像を見ることが出来るのでは、とおっしゃってましたが、とても夢のある発想ですよね。 

偵察衛星が街を走っている車やはたまた人まで観察できるのですから、いま、おそらく地球から403光年あたりにある関ヶ原合戦の模様などもどうにかしてみることが出来たら、、、などと想いを馳せてしまいます。

すこし平行宇宙論などとは関係がなかったかもしれませんが、宇宙や物理学のお話が大好きですので、参加したい気持ちを抑えることが出来ませんでした。あしからず。


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光の戦士

アメリカ近くのバミューダトライアングルは平行宇宙につながっていてそこは時間がストップしているため吸いこまれた人達は年もとらない。腹も減らない。また浦島太郎の話は実話で彼は宇宙人によって平行宇宙につれていかれた。と私が交信している偉大なるアストラル体は言っています。また宇宙を超えたところにはまた無数の宇宙がありすべての宇宙は進化するためにらせん状にある一定方向にすすんでいる。地球も私たちと同じようにアストラル体をもっており進化しています。あとは地球の人たちが進化する番です。宇宙意識もそれを望んでいます。


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ニシムラはちぶ

仏教用語ででは「三界(さんがい)は唯心の所現」というのがありますが、これは三界(過去、現在、未来又は、欲界、色界、無色界とも)は意識の表した世界であるということです。エバレット解釈では人間の自由意思によっていろいろに世界がわかれるということになりますから、このことを肯定しているように思います。しかしその宇宙間の交流は、意識できないということですと誠に不都合です。
 その宇宙間を交流することのできる何らかの要素を想定したくなるのが人情でなかろうかと思います。これは不気味な想定ではないと思います。あらゆる可能性が文字どおり可能なのですから世界の拡大になります。
ただし現在の自分にとって悪い、価値のない世界があるということは困る。これも人情。
そこで価値観の解釈ということが出てきます。人類普遍的な価値観があってもらいたい。そしてそれ以外の、いわば価値のない世界は存在するけれども仮の存在であってほしい。つまり、多世界の中で人類普遍の理想とする価値観と共通する要素だけが実在し、それを統合したものこそが真に実在する宇宙であってもらいたい。そうすれば多世界解釈万々歳です。




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 宇宙船が大気圏に再突入する際に進入角度が重要と知って以来、水切り遊びをするたびそのことを思い出す。平らな石を拾って川岸からサイドスローで投げる、石は水面をぽーんぽーんとはね、向こう岸に向かっていく。波紋を残す水面に、写真で見た青い地球を重ねる。その瞬間、ぼくは宇宙人になって地球の上に浮かんでいる。 もっともこれが宇宙船なら大事故で、大気圏への進入角度が浅く跳ねてしまったらもう手立てはない。かといって角度を深くしすぎると、減速が激しすぎる上、摩擦熱で燃える。現在のシャトルでは、機体表面の最高温度は摂氏1400度くらいが見込まれている。それ以上高い温度に耐える軽くて強い素材は技術上難しい。減速面では、重力の2倍(2G)程度。ジェットコースターには3Gや4Gなんてものも登場しているから、その点では宇宙飛行士も楽になった。 さて、水切り遊び。ミニシアター発でヒットした映画『アメリ』の主人公も好きだったようだし、英語でskipping stoneという表現もあるから、世界で親しまれているのだろう。この遊びに、科学で切り込んだ学者がいる。フランスの物理学者リデリック・ボッケ。水切りを繰り返す条件を連立方程式を立てて計算したもので、石の初速だけではなく、回転率が成功の鍵になるという。いい回転を与えることで、水面にぶつかっても傾きにくくなり、縦になって沈まない。水切りの世界記録は38回。ボッケは、このとき石は時速50キロ以上で投げられ、毎秒14回転しつつ12メートルの距離を飛んだと推測している。 宇宙船から物理学まで。単なる遊びとはいえ、奥が深い。ボッケが研究を行ったきっかけは7歳の息子の質問だとか。わが家でも明日の幼稚園の帰り道、水切り遊びをしてみるか。そんなことを思い、それからふと、自分が幼い頃水切りをした岸辺は、護岸されてもうないことを思い出す。自然の風景を失うとは、ただ自然を失うだけではないのだなあ。

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 通称、アイスマン。アルプスの雪の下から、死後10年も経っていないと思われる状態で発見された。46歳、身長およそ159センチ。最後の半年に3度大病を患っている。鍼治療のあとと思われる入れ墨が、関節炎にかかったときのツボ周辺に見られる。もっともレントゲン写真では関節炎の証拠がなく、鍼治療の起源論争はひとまず延長戦。彼が命を落としたのは、実際には5300年前。 彼の最後の旅は、アルプスの南、今ならイタリアのユヴァル城があるあたりから、直線距離で15キロの歩きだった。標高差2000メートル以上の山を登り、そこで息絶える。季節は、おそらく春。こうして具体的にわかってきたアイスマンの様子に触れつつ、ひとつのことが気になっていた。靴だ。アイスマンは、皮をていねいに縫い合わせた靴を履いていた。中には草が敷き詰められている。いまから5000年以上も前に、立派な靴を履いていたという事実。二足歩行をし始めて数百万年、ヒトはいつから靴を履くようになったのか。アイスマンのように寒さよけを目的とした閉鎖型のものと、サンダルのような開放型のものでは起源が違うかもしれない。 百科事典にあたると、少なくとも紀元前2000年ごろには古代エジプトの貴族たちがシュロの葉などで作ったサンダルを履いていたとある。とすれば、アイスマンの靴は、現存する最古のものということになる。その完成度からすると、おそらくはさらに古くから靴は伝えられてきたに違いない。 アイスマンの装備は、クマの毛皮の帽子や、火打石が入った小袋などずいぶん整っている。完全装備をして、彼はどこに向かおうとしていたのか。もちろん、それが平和なものとは限らない。彼の身体からは矢じりや刺し傷のようなものも見つかっている。5300年前、彼が歩んだのはどんな世の中だったのか。それは、今とどれほど違っていたのか。

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