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ちょっと知的な雑学&トリビア

権威への服従

2003年4月10日 【コラム
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 消費者の心を動かす技術を研究した定番書にチャルディーニの『影響力の武器』がある。「返報性」「好意」「希少性」など7つのテクニックが心理学実験や観察記録などをふまえて解説されている。そのひとつに「権威」があって、ずいぶん考えさせられた。
 ミルグラム博士による有名な実験がある。被験者は教師と名乗る人物から、実験室内の生徒に問題を出し、間違えたら電気ショックを与えるように言われる。電圧は間違えるごとに上げる。生徒は電圧が上がるたびに苦しみ止めてくれと懇願する。しかし教師は続けろという。苦しむ生徒を見つつ、続けるのは何人か。多くの人は100人に1人、あるいは1000人に1人と予測。ところが実際には、3人に2人までが研究者が実験の終了を宣言するまで、電圧を上げ続けた。教師という権威に従ったのだ。この報告はアイヒマン実験として知られ、ぼくたちが強制収容所でユダヤ人虐殺を担当したアイヒマンだったらどうするか、という重い問いを投げかけている。
 もう少し日常的な例では、ホフリング博士らが病院で行った実験がある。電話で「医師」と名乗る人から指示された明らかに誤っているとわかる投薬でも、看護婦の95%はその通りに患者に投与しようとしたという。この効果は、権威が証明されなくても、架空とわかっていても生じる。今ならドラマ『ザ・ホワイトハウス』で大統領役をやっているマーティン・シーンのひと言に権威を感じるのもそうした効果で、CMでも使われる手だ。
 自分は権威に従わないと言えるだろうか。アメリカの大統領選では、1900年以降8割を超えるケースで身長の高い方が勝っているという事実もある。大きなものや権威のあるものに逆らわないのが、生物としての生存本能だったとすればどうか。あるいはぼくたちヒトは、本質的に誰かに頼って生きてきた弱い命だとすれば。権威を前にするときぼくたちは、よほど力を入れて精いっぱい胸張って、じぶんの心でたたかわなくてはならないのだ。

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11 comments to...
“権威への服従”
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小橋昭彦

影響力の武器』は、営業・マーケティングの参考書としてもお薦めです。ミルグラム博士の実験については「殺人者の素顔 ミルグラム博士の禁断の実験」などもご参考に。生徒はサクラで、実際には電気は通っていません、念のため。ちなみに話題の番組は「ザ・ホワイトハウス」。大統領の身長については、前掲書に紹介されているLynnらの論文(Personality and Social Psychology Bulletin 10 349-357)、そして「大統領の背比べ」などから割合を算出しました。


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Jeff

初めてコメント投稿します.
ミルグラム博士による実験の説明には,被験者,教師,生徒,研究者とが現われ,誰が誰に何をしているのかが一読しただけでは分かりませんでした.教室で生徒に問題を出すのは一般に教師だという先入観から,被験者が問題と電気ショックを与え,教師がそれを指示するだけということが分かるのにちょっと時間がかかってしまいました.


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olsikeda

影響力の武器の挿話はかなり有名な話なので知っていました。リーダーの影響力として畏怖、報酬、地位、専門能力、人格、情報能力、コネなどがあるのは知っていますが企業研修を実施すると、リーダー層とフォロワー層に分かれるのも興味ある現象です。特に、リーダーになるよりも、副の立場でブレーンとして働く、リーダーに何らかの影響力を与えていると自負して満足するのは日本人の特性ではないでしょうか。宗教に対する認識の不足がリーダーへの奉仕で補われているような、そんな印象をもちます。


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FlyGuy

私はまだこの本をよんでおりませんが、恐らくは「大統領の身長」にあるように権威=外見はある程度イコールになることは想定できます。しかし、良くある現象として(日本だけかもしれませんが)、特にスポーツにおけるリーダー、キャプテンは大体背が低く感じられます。高校野球に見るキャプテン像はほぼ間違えなくチーム一背が低い選手が選ばれているように思います。ここでいう権威と外見はまったく別問題なのでしょうか…。


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kiyokake

今回の「権威への服従」は興味ある内容でした。
おりしもイラクのバクダッドが陥落したとゆうニュ”スがテレビで流されていますがメディアが伝えるようにフセイン大統領が残虐で、権力に執着していて反抗する者を全て抹殺したとするならば多くの人が反対し、蜂起して体制を崩す動きをなぜしなたったのでしょうか。
一つは権威への服従でフセイン万歳を叫ぶことで自分の存在を見つけたのではないでしょうか。もう一つはフセインの傘に入る事で権力の分け前を享受し経済的な優遇を得ることに体制を支える取り巻き連中が多くいるのではと思います。北朝鮮の金書記に従い賞賛しその一言、ひとことに感激の涙を流す多くの民衆も強制収容所の恐怖も有るのでしょうが権威への従属と体制の上部に位置し飢えない自分は権威の一部になって体制の存続に邁進するのではないでしょうか。
会社生活、地域、団体など何処にも権威は存在すると思います。理不尽な環境に置かれてそれへの服従から離脱するには多くのエネルギ”と自己の確立がいると思います。


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松本秀人

もし、アメリカが自分達でいっているような“民主主義の最も発達した国”というのであれば、論理的には、今度の戦争は、ブッシュやネオコン連中のみの問題ではなく、アメリカ国民の総意で行ったということになります。
こうした“見えない権威”を象徴するのが実在としての大統領ということなのでしょうか。


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小橋昭彦

Jeffさん、ご指摘ありがとうございます。この実験については、olsikedaさんのおっしゃるように知っている人は知っている、というものだったので、あまり細かく説明するとうっとおしいかと、かなり説明を刈り込んでしまいました。研究者がいて、被験者がいて、被験者に指示する教師役がいて、サクラとしての生徒役がいると、ちょっとこみあっていますね。

FlyGuyさん、おもしろい指摘だと思いました。確かに、スポーツの場合は権威で統率するのとは別のアプローチがある気がしますね。


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AKIRA

 はじめまして。文章から温かみを感じつつ、いつも楽しく拝見しております。また、時折発行される「考えさせる」コラムも大好きです。今回は、実験結果という事実があるだけに、人間とは何ぞや、なんて考えてしまいますね。


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Pitzbull

社会人1年目です、で初めて投稿させていただきます。
この本を読んだ途端、自分の行動、言動が走馬灯のようによみがえってきました。やはり、人間は七面鳥のようにCLICKandWHIRRになりがちであるために、少し自分の行動が怖くなってきました。この本を読んでからは少し意識をしながら行動に移しています。
逆をいえば、この本の内容は、交渉、説得、プレゼンでは恐ろしいツールだと思いました。


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小橋昭彦

Pitzbullさん、ありがとうございます。原著で読まれたのですね。日本語では「カチッ、サー」って訳されているんです、その部分。米国で活動されていたコンサルタントの方の話では、向こうでもマーケターはこの書籍をいろいろ活用しているとか。


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starB

いつも楽しく詠ませていただいています。私はこの本を読んでは
いませんが、私たちは、権威に「つい」従ってしまうのではな
く、権威を「常に」求めているのではないでしょうか? ランダ
ムに動くアヒルのロボットが、いつの間にか行列を作る映像を思
い出しました。(ちなみに母がオーストラリアに野生のペンギン
見物に行ったとき、うっかり歩くと、ペンギンがぞろぞろついて
きて閉口したそうです。でかいペンギンとでも思ったのかな。)
なんとなく、昔読んだ「自由からの闘争」やニーチェの超人を思
い出しました。




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Your Comment:

 モーニング娘。の「恋のダンスサイト」がアラビア音階だと話題になったのは何年か前だったか。アラビア音階といっても100以上あるというから、ここではアラビア音階風というくらいの表現にしておこうか。 家にオルガンが置いてあって、もうすぐ5歳になる長男もよくそれを弾いている。「ウルトラセブンの終わりの歌」とか言って適当に弾いているのだけれど、考えてみれば彼の創造性も、しぜん鍵盤の世界に添ったものになる。世界には西洋音階と違った音階もあるわけで、たとえば琉球音階をピアノで弾くならドミファソシド、都節音階は左から弾くときはミファラシレミ、右からならミドシラファミになるとか。そんな鍵盤なら、彼はどんな音楽を奏でるのだろう。 そういえばオルガンを使っている以上、どうしたって弾けない音もある。アラビア音階がそうだし、琴で出る音だってそうだ。そういう意味では、なにかひとつの楽器を選びとったとき、ぼくたちは濃密な音世界を、ある基準で切って選びとっていることになる。もちろん、だから何かを捨てているという意味ではなく、音楽が単音ではなくつながりでできている以上、わが子に琴を持たせれば、それはそれなりの「ウルトラセブンの終わりの歌」が生まれるのではあろう。 ちなみに、それは言葉にも言えることで、同じ透明な液体を「water」と一表現でまかなう言語もあれば、「水」と「湯」に分ける言語もある。いや、同じ日本語でも、ぼくにとって「コラム」という単語は自らも書く意味を含んだ単語だけれど、あなたにとっては主に読むものという単語かもしれず、受け取るイメージはやはりずれている。 そのずれは結局その人が生きてきた積み重ねそのものだ。そういう、少しずつずれた言葉を用いながら、ぼくたちは自分の生きてきた積み重ねと相手が生きてきた積み重ねを交換している。人と会話をしていて、ぼくはときどきそんな思いに、心を震わせていることがある。

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