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ちょっと知的な雑学&トリビア

嘘をつく記憶

2003年3月13日 【コラム
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 時間というとき、ぼくたちは過去から未来へ続く川のようなものを思い浮かべる。その途中に浮いている船が現在だと。しかし、実際には現在という時間を、ぼくたちは船を指すようには示すことができない。示したとたんに、それは過去になっているから。
 過去でさえ、いま思い出すからあるわけで、どこかに確かに転がっているわけではない。思い出すという現在が過去。いや、過去は確かに変わらず存在すると思われるだろうか。たとえば、こんな事例を知るとどうだろう。
 犯罪における目撃証言の事例だ。何人かが犯人を目撃し、その人たちが写真ファイルあるいは面通しで共通した人物を犯人と指摘する。すると捜査側は間違いなくその人物が犯人であろうと考える。ところが、容疑者が逮捕された後で真犯人が名乗りでる、それが目撃証言と似ていない犯人だった、そんな事件が少なからず発生している。
 これは、ぼくたちの過去に関する記憶が、思い出すという行為の中でゆがめられてしまうからなのだ。証言をとる警官の質問、マスコミによる容疑者報道などで、思い出は容易にゆがめられてしまう。証言心理学の先駆者、米国のロフタス博士は、交通事故のビデオを見せた後、被験者に現場にガラス破片が散らかっていたかをたずねる実験をしている。このとき「激突したとき」とたずねると、「衝突したとき」とたずねたとき以上に、実際には散らかっていなかったガラス破片を散らかっていたと証言する人が増える。わずかひとことの違いが記憶を変える。
 過去を悔いることも少なくない。あれをしとけばよかったとか、あれはしなければよかったとか。そんな思いは辛い。つらいのだけれど、そういう過去でさえ、通り過ぎた上流でなく、現在を生きるという行為のなかにあると考える。そして今を誠実に、力強く生きることで過去を償えるのだと、そんなことを思う。

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4 comments to...
“嘘をつく記憶”
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小橋昭彦

まず菊野春雄氏による『嘘をつく記憶』をおすすめします。ロフタス教授については「Elizabeth F. Loftus」をどうぞ。また、2001年の1月10日付の拙コラム「あやしげな記憶」もご参考に。フジテレビの「目撃証言 その隠された真実」や「簡単に植え付けられる「悪魔憑き」の記憶」「知覚&認知のサイエンス」も参考になります。


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藤島 昇

たまたま今読んでいる本「「社会調査」のウソ0リサーチ・リテラシーのすすめ」(谷岡一郎著、文春新書)のP122で、「ジョン・コートルの著書『記憶は嘘をつく』(講談社)」という記述のあるくだりにさしかかったところで今回のコラムの配信を受けたので、偶然に驚きました。本の中で引用されていた例は、1995年に大阪府知事になった横山ノックの得票数が2位の得票数の1.4倍程度だったのに、1年後のアンケート調査では、「誰に投票しましたか」という質問で、ノックのパーセンテージが2位の4.5倍にもなっていた、というものでした。アンケート結果をそのまま信じてはいけない、ということですね。


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岡村良雄

記憶の信頼性を判断する方法について教えてください。


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藩冬に

ただし、どんなにつらい思い出でも時間の流れでだんだん忘れられてしまうけど、新しい新鮮な出来事は次々に出てくるのだ。だからヒトはやはり自分にとって貴重な過去のために生きるのではなく、未知な将来のために生きるのではないかな。




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 もうすぐ5歳になる長男と、このところ黙想をしている。正座して、目を閉じ、何も考えない。まずは1分間。あんがい静かにしているもので、ちょっと驚いている。ジャネの法則を適用するなら、彼にとっての1分間は、ぼくにとっての8分に相当するはずだから。 ポール・ジャネはフランスの心理学者。60歳にとっての1年は20歳にとっての3年、つまり心理的時間は年齢の逆数に比例すると唱えた。心理的時間の1秒間は10歳児で0.5秒、大学生で0.61秒、老人で0.65秒だったという実験報告もあるから、ジャネの法則ほどの差は無いものの、確かに年をとるほどに心理的時間は長くなっている。 心理的時間は、年齢だけではなく本人のおかれた状況によっても変化する。建築環境を研究する藤本麻紀子博士らが行った実験によると、にぎやかな街中よりも静かな公園のビデオを見ている方が、時間を短く感じる傾向がみられた。好ましいと感じる空間であることが、心理的時間を短くしている。そしてもちろん、空間だけでなく時間そのものへの評価も心理的時間に影響する。楽しい時間は短いのに、待つ時間は長いというやつだ。米国のシュナイダーらが犯罪の被害者を対象に調べたレポートでは、警察が来るまでの時間を、実際に要した時間よりほとんどの人が長く感じていたという。ストレスのかかる状況だと待つ時間はいっそう長い。 長野県松本市を訪れる。約束の時間まですこし間があったので、新しくできたという時計博物館をのぞいた。館内のビデオで母の帰りを待つ子どものエピソード。母は仕事で忙しくしている。忙しいときほど時間は早く過ぎ去る。母は子どもが待つ時間の悲しさに気づかない。忙しいという字は、心を亡くすと書くともあった。そういえばこのところ、「お仕事終わるまで待ってね」と子どもに言うことが多い。ぼくはいま、心まで失いつつあるのだろうか。そんなことを省みつつ、博物館を後にしたことだった。

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 記憶が書き換えられるものとすれば、その積み重ねを記述した歴史ってなんだろう。おそらくそれは、地層のように積み重なっているものではなく、記述する人の観点から見た記述にすぎない。そう思いつつ小学館の『スーパーニッポニカ』で「歴史学」をひくと、「歴史の事実は現在にある」という表現に出会い、ひざを打つ。今を生きる歴史家があってこそ成り立つものだから。 そういう視点からすれば、歴史を語ろうという観点のない文明には「歴史」はない。たとえば、インド文明。古代インド文明には史書の類がほとんど無い。インドでは生命を輪廻転生と見ており、この世の一瞬の出来事に価値を置かなかったから、とも言う。歴史学の岡田英弘教授による『歴史とはなにか』にも同様の指摘があり、またイスラム文明にも本来歴史はない、と指摘している。イスラムでは一瞬一瞬が神の創造と考えるからだ。それがたまたま歴史を持ったのは、地中海文明と対抗する必要上だったと。 その地中海文明においては、ヘロドトスの『ヒストリアイ』によって歴史が「発明」された。彼の歴史観というのは、二つの勢力が争って変化するというもので、アジアとヨーロッパの対立を軸にしている。岡田教授は、中国文明が司馬遷の『史記』によって歴史を持ったのは、皇帝の正統性を主張するためだったとも指摘している。 アメリカに歴史が無いとは、しばしば聞く言葉だ。このとき「歴史」というのを、単に時間の積み重ねではなく観点としてみると、そのことが新しい意味で実感される。アメリカにとって重要なのは現状をどう判断し将来どうするかだけなのだと。いくら他国が歴史を言っても、アメリカにとっては単に古いという意味にしかならず、これじゃあ話はかみあわないよな、なんてことも思う。だから今、という話には踏み込まないでおくけれども。

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