ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

人に擬す

2003年2月03日 【コラム
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 野口雨情は幼い子を亡くしていたと読者から教わって、あらためて彼の経歴を読む。生まれて2週間の幼子。失意のどん底から彼は、亡くした子に励まされるように数々の童謡を生む。それを下敷きにすると、七歳か七羽かという「七つの子」の解釈にも、新しい光があてられる。「山の古巣へ 行ってみてごらん/まるい眼をした いい子だよ」と書きとめるとき、彼は何を想像しただろうか。
 雨情が歌詞にこめた思いは定かでない。カラスに人間の親子を重ねるのは聞く側の感性。擬人法を含め、部分的な類似から未知の類似へ広げていく手法をアナロジーというけれど、ぼくたちはふだん、ただ目の前にある物質だけではなく、アナロジーを付加した豊かな世界に生きている。
 川の流れに人生を思い、動物の姿に社会を学ぶ、ぼくたちならではの能力。未知のものに出会ったとき、ぼくたちはすでに知っているものから類推して理解しようとするし、「そういえば」というひらめきは創造を生む。だいたい、今使っているコンピュータだって、デスクトップやゴミ箱、フォルダなど、アナロジーのおかげで利用できているようなものだ。
 いま少し調べてただけでも、アナロジーは、芸術はもちろん、言語学、心理学、数学、哲学、建築学、その他広い分野で重要なテーマになっている。学問としては注目度があがっているようだけれど、実際のぼくたちの、アナロジーを受け止める力、生み出す力はどうだろう。アナロジーの豊穣さを失った世界は、殺伐としてしまう。
 雨情は、アナロジーによって救われたろうか。ふとそんなことを思う。彼による「しゃぼん玉」を、最後に。屋根まで飛んだあとになぜこの歌詞が続くのか、かつてぼくは不思議だった。雨情さん、ぼくは今、この歌詞を涙なくしては聞けません。「しゃぼん玉 消えた/飛ばずに消えた/生まれてすぐに/こわれて消えた/風 風 吹くな/しゃぼん玉 飛ばそ」。

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20 comments to...
“人に擬す”
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小橋昭彦

没ネタ。エベレスト山頂に設置された時計は海面にある時計よりも1年間で10万分の3秒ほど進む(日経サイエンス12月号)。1万年時計作りに精出す職人(日経サイエンス12月号)。永久機関関連の特許、いまもときどき成立(日経サイエンス12月号)。研究対象に脊椎動物を取り上げがちな科学者たち(ポピュラーサイエンス12月号)。今も続けられるスクラムジェットエンジンの研究(ポピュラーサイエンス1月号)。公園に姿を現す鳥、富裕地区の公園には平均28.2種類見かけるのに対し、貧困地区では17.5種類日経サイエンス12月号→「City birds prefer rich neighbors」)。


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tak-shonai

30年以上も前ですが、高石友也のコンサートで、「しゃぼん玉」の歌は、当時の「間引き」の風習を悲しんで作られたと聞きました。

本当に涙なしには聞けませんでした。


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白石

しゃぼん玉・・・
AMラジオ、夕方の番組に「ごうだみちと」(ラジオなので漢字がわかりません)
童謡に関する四方山話の番組があります。
これで聞きました。

8歳の娘をやっと思いで授かった経緯がありますので
子供に対しては特別の思い入れがあります。
車で通勤途中にこの唄と由来を聞いた時
思わず泣いてしまいました。

童謡には残酷なお話が沢山隠されているようです。
混沌とした時代の鏡なのでしょうか・・・


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佐藤千洋

今日のお話し、感傷的になりすぎず、でも
雨情の気持ちを垣間みせてもらったようで、
感動しました。
”ぼくたちはふだん、ただ目の前にある物質だけではなく、アナロジーを付加した豊かな世界に生きている。
 川の流れに人生を思い、動物の姿に社会を学ぶ、ぼくたちならではの能力。”のあたりが、個人的に好きな
文章です。
がんばってください。


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つづき

泣きました、朝から。
自分の子供が今1歳半とお腹にもう一人。
無事に育ってくれたらそれで十分だと思う。

「大きな古時計」
この曲の歌詞も結構涙なしで聞けない。
けど寿命を全うし孫?達が古時計をおじいちゃん
の思い出として語る、幸せな曲かもしれない。
結婚式で使ったら駄目かなあ。


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じょん

しゃぼん玉の歌、そんな風に考えた事もありませんでした。
衝撃を受けました。そして感動しました。


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シャボン玉の歌
自分も幼児の親なので由来を思い出すと
泣けました。

web・メールをみてて泣けたのは数回しか有りません


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小さい子供が二人いるからかも知れませんが、ひどく心を打たれました。こういう文章を読んだ時に胸に浮かぶ激情は、人間の本質を突いているのかなあと思います。


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中野 勲

いつも有難うございます.今日の「人に擬す」は,とくに感銘をうけました.


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コグレマサト

しゃぼん玉のお話、確かお正月にテレビで見ました。
元旦の午前中だったと思います。
この記事を見て思い出しましたが、詳細を失念して
しまいました。どこかに残っているでしょうか‥‥。

ちなみに、

http://www.jade.dti.ne.jp/~otera/manabi129.htm

では2歳の娘さんとなっていました。
確か、再婚されていたと思います。


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つづき

人の命ってはかないですね。
上のスレッドを書いた直後、僕の友人が
交通事故で帰らぬ人になりました。
あっけない・・・


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小橋昭彦

つづきさん……。このコラムの初稿を書き終えたとき、シャトルの事故を知って改稿しました。事故はいつもとつぜんで。

コグレマサトさん、雨情は明治41年に生後まもなくの長女を、大正13年に2歳の次女を失ったようです。年代をたどると、「しゃぼん玉」の発表は次女を亡くす前のこととなっています。


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港の洋子

涙です。古時計も小学校のころ、何も考えずに歌っていて、「あ・・このおじいさんは・・」と思ったら涙が止まりませんでした。失ったものをいとおしむ、これもアナロジー無くてはできないことでは。その感性がコンピュータ化で思いをめぐらす前に答えが出てくることに慣れてしまい、鈍らなければいいのですが。シャトルの犠牲者の冥福を祈ることしかできません。残骸をオークションサイトにかけるというひとはいったいどういう感性の持ち主なんでしょう。


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bert

僕たちは、その時のその思いを忘れないように遺す、ことおざなりにしてはいないだろうか。写真やビデオに頼りすぎてはいないだろうか。事実は形として残るけど、知れず風化する思いは僕にしか遺せない。


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さくら

しゃぼん玉の歌、小さい頃にしゃぼん玉を吹きながら家の庭でよく歌いました。どうしても屋根の上まで飛ばず、悔しい思いをしたものです。飛ばずに消えてしまったしゃぼん玉の後は、必ずそっと吹いて大事に作ったものでした。

自分には、まだ子供がいませんが、若くして娘(私の母になりますが)を無くしてしまった祖母を見ていると親より先に死んでしまう子供はなんて親不孝なんだろう、と思います。子を想う親の愛情も深いですが、親を想う子供の愛情も大きいです。


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吉川友美子

 感想が遅くなってごめんなさいm(_ _)m
「シャボン玉」に込められた雨情の事を知ったのは昨年でした。同じ子どもを亡くした者として、深く感じるものがありました。今回の小橋氏の文章は、更に心に響くものがありました。「七つの子」からアナロジーへの展開。アナロジーという言葉を知ったのも初めてでした。
アナロジーの豊穣さを失った世界は殺伐としてしまう、というくだりも、実感としてすごくよくわかります。
 実は最近アナグラム(字謎)に凝っています。始めにアナがつくので、ほかにもこんな言葉があるのかなと、そちらの疑問も芽生えました。他にご存知でしたら教えて下さい。この感動を分かち合うため、知り合い20名くらいに転送させていただきました。よかったのでしょうか?


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小橋昭彦

吉川さん、ありがとうございます。「ana」は語源的には「他のことについて」とでもいった意味で、「upon」にあたります。logyはロゴス(言葉)などと同根でしょうね。組み合わせれば「他の語を利用して」といった意味合いになることから、比喩といった用法になったのでしょうね。analysisなど、その他anaのつく語もそうして分解するとつかみやすそうです。


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小橋昭彦

あ、それから転送ですが、一般的には困ってしまうこともありますが、今回おっしゃっているような単独の目的であればかまいません。出展としてここのURLも一緒に送っておいていただければ、なおさらうれしいです。多くの方の心に、少しでも残れば幸いです。

今日、近くの町で野口雨情展をやっているのを見てきました。茨城の人かと思いますが、こんな兵庫県の山間部でも足跡を残されているんですね。


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halima

しゃぼん玉の歌の由来、知りました…。
かなしいです。でも、そのことを知らない子供たちを見ていると、ズキッときます(なぜか)。知らない人たちは一生知らない方がいいと思います。

親は子供を亡くすと辛いことがよーく分かりました。


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halima

しゃぼん玉の歌の由来、知りました…。
かなしいです。でも、そのことを知らない子供たちを見ていると、ズキッときます(なぜか)。知らない人たちは一生知らない方がいいと思います。

親は子供を亡くすと辛いことがよーく分かりました。




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 カラスが出てくる歌といえば「烏は山に 可愛い七つの子があるからよ」とうたう、野口雨情による童謡があった。ぼくはこれを七歳の幼子と理解していたが、鳥に親しい人にとっては予想外の解釈という。七年も生きて子どもでいるはずがない。 とすると童謡は7羽の子という意味になる。5つ卵が通常だから多産ではあるけれど、常識の範囲内だろう。ちなみに、カラスの卵といっても黒くはない。鳥の卵の色は、血液の赤と同じヘモグロビン色素か、青色や緑色をつける胆汁色素か、どちらかで決まる。 童謡は「可愛可愛と烏は啼くの」と続く。カラスの気持ちを察して歌詞に織り込んだのかと思いきや、埼玉大学の山口仲美教授の著書に、広島や兵庫ではカラスの声を「カワイカワイ」と聞きなしたとあった。鳴き声を模した掛詞であったか。歴史をたどれば、カラスの鳴き声を「カラ」と聞きなしていたこともあると思われ、それに鳥を示す接辞「ス」をつけてカラスに。鳥の名前は、ウグイスやカケス、チドリ、アホウドリと鳴き声に由来するものが多い。ウグイスもウークヒと鳴いていたのだ。 ノーベル賞を受賞した動物行動学者のローレンツは、魔法の指環をはめて動物たちと会話したという古代ソロモン王の話をひきつつ、自分はあらゆる動物と会話できない点でソロモン王に劣るが、指環がなくても話せる点で負けていないと述べている。著書には、コクマルガラスと家族同様に暮らした観察記が生き生きと描かれている。 いま、都市生活にとってカラスはむしろ敵で、自治体担当者の頭を悩ませている。鳥獣保護法では野鳥の巣や卵をとることを禁じているが、カラスについてはそうもいっていられない状況。ローレンツはその著書を『ソロモンの指環』と名づけた。ぼくたちは七つの子とどうつきあえばいいのか。失った指環を求める旅路は長い。

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