ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

けはひ

2002年2月14日 【コラム
Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

 街角で見かけた『化粧師』という映画のポスターに「KEWAISHI」と読みがふってあるのに気づき立ち止まる。「けはひ」と書けば、「気配」に通じ、メーキャップにとどまらず、みずからをとりまく世界のあり方に広がる。そういえば、化粧品を意味する英語のcosmeticsにも、cosmos(宇宙)が隠れている。
 調べてみると、江戸末期には「けしょう」はメーキャップを意味し、「けわい」は身だしなみすべてを含めた総括名称として使い分けられていたという。1813年に出された日本初の化粧専門書といわれる「都風俗化粧(けわい)伝」には、顔だけではなく手足や身だしなみまでにいたる細かいアドバイスが並んでいる。
 江戸時代は化粧文化が花開いた時代でもある。1853年に江戸市中にいた女髪結の人数は1400余人。現在の都内の美容院数がおよそ1万5000店だから、人口比にすると江戸時代も今もほぼ変わらない。当時は遊女や役者が流行をリードしており、上流階級が情報発信源だった西欧と一線を画している。
 化粧のルーツをさらにたどっていくと、平安中期以降、赤化粧から白化粧への移行があったことが目につく。縄文時代から、日本ではずっと顔を赤く塗る化粧が主流だったのが、白粉をつかった化粧に変わっているのだ。ひさしが長く薄暗い寝殿造りの建物内で、顔を美しく見せるためだったともいう。
 化粧には自己隠蔽と自己解放の二面性があると、石田かおり著『化粧せずには生きられない人間の歴史』に指摘されている。しみを隠すとき化粧は隠蔽の役目を持ち、紅をひくことで高齢者の社会参加が促されるとき、化粧は自己を解放している。
 化粧は「けはひ」、口紅を手にするとき人は、世界とコミュニケーションをはかっている。

Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

9 comments to...
“けはひ”
Avatar
小橋昭彦

化粧せずには生きられない人間の歴史』。命をかけた化粧、男の化粧、その他おもしろいエピソードが盛りだくさん、おすすめです。映画『化粧師』サイトには江戸時代の化粧本からの抜粋もあります。その他、「日本の化粧の歴史」「おけしょう図書室」、東京都による「理美容料金等に関する調査結果」などもご参考に。


Avatar
SONNY

はじめまして。
先日とある番組で映画「化粧師」の宣伝があったのですが、その際にお化粧などがきつい様を「けばい」というのは「けはひ」が由来だと言っていました。けはひが本来身だしなみ全般を意味するものでしたら「けばい」に越したことはないのでしょうね。( ̄▽ ̄;)


Avatar
akiko

以前から「美白化粧品」がもてはやされる日本で、いつ頃からどんな由来で「白いこと」が好ましくなったのでしょうか。ある人が「西洋・白人の憧れや影響だ」といってましたが、そうかなあ・・・と納得いかず。「赤化粧から白化粧への移行」はどんな理由だったのでしょうか?


Avatar
小橋昭彦

赤化粧から白化粧への移行は、本文にも触れたような理由があげられています。ほんとのところはわかりません。遣唐使の廃止で唐風の赤化粧が、国風に移ったといった時代背景もあるでしょうね。石田かおりさんの著書などもご参考にどうぞ。


Avatar
琴田まき

はじめまして。いつも楽しく読ませて頂いてます。「けわい」は「けはひ」を語源とする・・・というより中世以後「けはひ」と書いて「けわい」と発音されていたそうです。発音「けわい」で今言う気配と身だしなみ全般の両方が表現されていたようですね。それで「化粧」という漢字が当てられることもあったのでしょう。ちなみに現在の「けはい」という語は本来「けわい」の当て字の漢字表記の1つだった「気配」にひっぱられて、成立した語なのだそうです。漢字に引かれて語が変わってしまう、というのは結構ある話です。旺文社『古語辞典』改訂新版を参考にしました。


Avatar
小橋昭彦

aikoさん、『化粧せずには生きられない人間の歴史』の著者、石田かおりさんから、お答えをいただきました。以下、ご紹介いたします。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

感想投書欄でakikoさんが「なぜ白が尊ばれるのか」と
書いていらっしゃったことに対して簡単にお答えしたいと思います。

化粧品はかつてはとても貴重で高価なものでした。白粉をつけて白くいられることは高貴な身分の証です。また、高貴な人は屋敷の奥まったところにいて外出時にも牛車や籠に乗り被り物をして日に焼けないので、色白=高貴の象徴です。現代人が皇后様や雅子様のファッションに関心を持ち憧れるのと同様、いや、それ以上に、高貴な人に憧れて美意識や流行は形づくられてきました。

それからもう一つ。
白という色は清らかで光輝く美しさの象徴です。色白にもこのイメージがついてきて、美人になったという理由もあります。

なお、なぜ赤から白になったか、これは今なお謎です。(ご存知の方、教えてください)

本家の中国でも赤い顔は唐の一時に爆発的に流行し、その後赤は控えめになりました。それでも、現在の京劇の女形のメークを見てわかるように日本に比べればかなり赤いです。(桃色の肌ですね)
赤に対する意識の違いが日中にあるような気がしてなりませんが、確証はないので、やめておきます。
「紅顔」は美人(男女とも)の意味で、中国から来た用語です。しかし、日本にはなく中国にある「紅顔薄命」という語にも赤が廃れた鍵があるのかもしれません。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


Avatar
akiko

石田さん&小橋さん、ご回答有り難うございます。かなり感激!今年のホワイトデーには「『化粧せずには生きられない』を買ってくれ0。」と、先日頼んだばかりでした。やはり社会的階級が関係あったのですね。次に「日本人が色白いの好むのは西洋の影響でしょ」といわれたら、堂々と説明してきます。


Avatar
わさび

こんにちは。
私は現在北京在住、こちらでは日本にも増して美白信仰が強い!とにかく白けりゃいいと思っている人が大多数で、ファンデーションを塗る時にも、首の色との違いなんて全く気にしない人もまだまだ多いんです。ファンデーションでも一番白いタイプの売れ行きが一番いいそうですし、デパートの化粧品売り場には美白効果のある化粧品があふれていますよ。
石田さんのお話にあった京劇の女形のお化粧は、確かにぎょっとするくらい桃色ですが、赤が美しい女性の象徴というのは舞台メイクに限られるようです。一般女性のトレンドは、とにかく「白」ですね。
ただ、理想の肌としてあげられるものの中に「紅潤」というのがあります。「肌の血色がよく赤みがさしてみずみずしい」という意味です。また、「白里透紅」というのもあります。これは「白いけれども、その白さの中にほんのり赤みがさしている」状態です。この2つの表現から推察すると、少なくとも現代においては、「赤」=「血色」、つまり健康的だということになるのでは?
唐代に赤化粧が爆発的に流行したということですが、唐代と言えば楊貴妃に代表されるようなかなり太った女性が美しいとされていた時代です。美とはすなわち健康美だったのでしょうか。高貴な女性であれば食べるのに困らず健康的なはずで、従ってふくよかで顔の血色もいい。だからそういう女性がもてはやされ、赤化粧が流行したのかもしれません。(もちろん、医学が発達していなかったので、健康に対して現代とは比べものにならないくらいの切実な思いがあったとか、ふくよかさを美ととらえる感性は豊穣に対する願いの反映といった要素もあるでしょう。)
翻って考えてみると、赤化粧から白化粧への移行は、人々の生活が全体的に豊かになってきたことの反映だったのかもしれません。国全体の生活レベルが上がってきたために、ことさらにふくよかで血色のいい健康的な女性美を求めなくてもよくなり、今度はやせ形で色白なことに美の基準が移っていたのかも・・・。
仕事の合間に、ちょっと想像を逞しくして、タイムトリップを楽しんでしまいました。


Avatar
小橋昭彦

わさびさん、石田さんからさっそくご返事いただきました。

+++++++以下お返事+++++++++++++++

わさびさんのおっしゃる通り、中国では美白が大流行しています。それは東南アジアの中国系女性の間でも同様です。
中国の歴史全体を通して見ると、概して、色白で非常にスリムな女性が美女でした。ただ、盛唐時代だけふくよかで赤い肌が美女でした。(張競『美女とは何か』晶文社、に詳しく出ています)
その時代の流行が飛鳥・奈良・平安初期の日本に入ってきたのです。以後遣唐使廃止によって文化的に鎖国をすることで日本独特のメークになったのです。
ですからこれは現在の話ではありません。

また、国民が栄養失調のときにはふくよか美人で栄養が行き渡るとスリム美人になるというご指摘、基本的にはその通りです。

いま初台のICCで「芸術と医学」展が開催されていますが、そこに出品されている中にこういう作品がありました。
若い女性の一人暮らしを思わせる小部屋の中、冷蔵庫のドアが開き、そこからアメリカのスーパーにある缶飲料・お菓子・レトルト食品があふれ出ていて壁にダイエットと美容整形と食欲についての自問自答のセリフが矢継ぎ早に流れている。
こんな風刺の効いた作品が現れ、観る物にすぐに理解できしかも観る者を居心地悪くするそんな社会に日本もなってしまいましたね。




required



required - won't be displayed


Your Comment:

 東京大学情報学環の佐々木正人教授らの編集による『アフォーダンスと行為』を読みつつ、行動について思いをめぐらす。アフォーダンスという言葉は、環境が動物に提供するもの、といった意味で、たとえばコーヒーカップの取っ手はぼくたちに持つことをアフォードしている、といったように表現する。 アフォーダンスは、物体そのものを分析しても見えてこない。コーヒーカップだって、状況によって持ち上げることをアフォードしたり飲むことをアフォードしたりするわけで、ぼくたちの行為と不可分だ。同様に、ぼくたちの行為もまた、環境と対話を繰り返しつつ完遂される。 思い出したのは科学技術振興事業団が開発した人工現実感による機能障害回復システムだった。機能障害を回復するとき、運動機能のリハビリテーションだけではなく、感覚機能と協調させると効果的だという。その感覚部分を、人工現実感で補うシステム。まさに、人間が環境とやりとりしつつ動いていることに着目したシステムだと思った。 闇の中で揺れ動く紐に触れて、どうしてその長さまでわかるのか。従来の考え方は、ある瞬間に受けた刺激が構成されることで、紐という認識に至るという理解だった。それでは、動きは認知にとってノイズになってしまう。紐の長さは、むしろ動かすことで把握できるのに。そこでこう考える。一連の変化する動きの中に持続する不変項があって、それが情報として処理され、認知につながるのだと。なんだか納得だ。 たたいただけで缶詰の品質を見分ける打検士という職業がある。缶詰の中で難しいのはカニ缶。習得に時間がかかるか、という問いに、打検歴36年のベテランが答えている。「習得までいかないよ、そんなぁ。それはやっぱり、奥が深いからさ。」 世界を知ることの、不思議さ、奥深さ、貴(とうと)さ。

前の記事

 恐竜を扱ったヒット映画のおかげで、彼らが案外すばやい動きをしていたことが広く知られるようになったように思う。実際のところはどうなのか、英ケンブリッジ大の研究者らが推測し、発表した。 英国南部のオックスフォードシャーの採石場で見つかった足跡化石を分析したもので、およそ180メートルにわたって続く足跡のうち、約35メートルが走った跡だった。恐竜の種類は残念ながらわかっていないが、ティラノサウルス・レックスのような2足歩行の肉食恐竜とみられている。腰までの高さ、約2メートル。 発表によると、歩くときの足跡は、足場が悪かった可能性があるものの、左右の足が開いており、内またで歩いている。歩幅は約1.4メートル、時速7キロ程度と推定されている。一方、走り出したあとはつま先がまっすく前を向き、両足の幅もほぼ直線に近くなり、歩幅は2.8メートルと倍になっている。最高時速は約30キロと推定されている。 時速30キロ。100メートル走にすれば12秒ということになる。恐竜時代に生きるとすれば、短距離走の練習をしておかなくてはいけないだろう。持久力についてはわかっていないが、せいぜい彼らの速度が長く続かないことを祈るほかない。同じ場所からは草食恐竜の足跡も見つかっている。さて、肉食恐竜はこの獲物を追って走ったのかどうか。 彼らの生きた時代はジュラ紀中期、およそ1億6000万年前。ちょっといたずら心をおこして、肉食恐竜が時速30キロという速度のまま現在まで走り続けたら、どこまでいけるのだろうと計算してみる。桁が大きくなるので丸めると、4光年あまりと出た。太陽からもっとも近い恒星、プロキシマ・ケンタウリまでの距離をほんの少し超えたところ。 全力疾走も1億年単位で続ければ、太陽系を離れ、恒星の世界に届く。南の夜空、ケンタウルス座付近を走るティラノサウルス・レックスの姿を空想し、スポーツは偉大だと、冬のオリンピック報道に目を戻すのでした。

次の記事