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ちょっと知的な雑学&トリビア

草木

2001年8月06日 【コラム

 実家に帰った折に、高校生のころ読んだオールディスの『地球の長い午後』を読み返す。はるかな未来、地球は太陽に同じ面を向けて静止し、植物が支配する世界になっている。昼の側の半球をおおう一本のベンガルボダイジュ、月まで旅するツナワタリ。人間は植物と戦いながら暮らしている。めくるめく想像力。いまもぼくにとってのベストSFに入る長編だ。
 統合バイオサイエンスセンターの塚谷裕一助教授による『植物のこころ』に、花見といえばすぐに思い浮かべるソメイヨシノはほとんどがクローンである、とあり、はっとする。ヒガンバナや竹だって、あるいはキンモクセイも、クローン。だからみんな同じような表情をし、ほとんどいっせいに花を咲かせる。似ているのも当然だったのだ。竹は地下でつながっている場合がほとんどだから、山を覆う竹やぶ全体がひとつの個体とも考えられる。巨大な生物。
 オールディスの奇想も、けっして突飛ではなかったのだと納得する。単にホラ話を書いたというのではなく、身の回りの植物の声を聞き、姿を観察する中で、はるか未来の地球を夢想したのではなかったか。
 植物を擬人化してかわいがったり、保護するといって強者の立場にたつのではなく、純粋にこの星を生きる仲間としてとらえること。草木が眠ったり、なびいたり、ゆるがなかったり。草木の動きを表現することで状況をうつしとる言葉の数々に、かつてはそれらが生きていることを実感していた時代があったことを思う。
 いくら時代がスピードアップしたからって、草木のいのちを感じる感性は、100年やそこらで失われたりはしないと信じたい。ぼくたちは、多くのいのちにかこまれて、この星を生きている。


8 comments to...
“草木”
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小橋昭彦

今回のコラムでは、塚谷裕一著『植物のこころ』を参考にいたしました。とてもおもしろい本です。著者サイトは「統合バイオサイエンスセンター」へ。その他、「日本植物生理学会」「生命誌研究館」などもどうぞ。『地球の長い午後』、夏休みにぜひどうぞ。


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ながさわ

植物の心と云えば、新井素子の『グリーン・レクイエム』
『意志』を持った植物が登場する話です。ある意味ホラー、ある意味SFのお話ですが、私の中でのベストSFの中に入ってます。続編の緑幻想はイマイチ(って失礼な……)ですけど。


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ジュモン

 妖精の存在を信じていた子供時代。

 冬休みで遊びに行った母の故郷での夜。
 月明かりの中での入浴中のことでした??当時の田
舎(農家)では、お風呂は屋外にあり囲い(壁)がな
かった。

 数メートル先に杉の木がそびえ立っていた。

 月にかかる雲が時折あたりを暗くした。
 ふッ、、、と 誰かに話しかけられた。

 一緒に入浴中の叔母に、
「おばちゃん、今なんか言った?」
「え?きのせいじゃない!」

 以来しばらく、かの杉の木は「木の精」が潜むと
思っていた。
 草や木が生活に深く関わっていた頃は、どきどきす
ることがいっぱいあった。


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第三市民

私もオールディスの『地球の長い午後』を高校生の頃読みました。SFの蔵書は一時膨大になったのですが、転勤と転居を繰返す内に保管できなくなって全て廃棄処分
して(されて)しまいました。息子に読ませたかったのですが、理系の修士まで面倒
みたのにマンガしか読まないので、腹が立ったのも原因です。

樹齢千年のご神木には圧倒される霊性を感じます。どういう戦略・戦術で生き長らえ
たのか、尋ねてみたいですね。
竹は周囲の樹木を駆逐して、全て竹林となって占領しますが、あの弱々しい「白樺」
も、徐々に周囲の樹木を駆逐して白樺の森になるのだそうです。


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COACH

「地球の長い午後」・・・懐かしいですねー
当時は僕もSF小説を読みあさっていた頃で、思い出深い作品の一つです。
植物といえば、少しづつ「蝉時雨」も落ち着きを見せてきた今日この頃ですが、羽化を目前とした蝉の幼虫が大木を一歩一歩「生」を噛み締めるがごとく登ってゆく姿に久しぶりに出会いました。
多くの抜け殻を「ゆりかご」のごとく葉に燻らせた大木の姿は、幼い頃に駆け回ったふるさとの山々を思い出させるに十分だった気がします。盆休みに帰省しても、そこにはたどり着けない忙しさをしょっている事がとても寂しく感じました。
ゆっくりと時間が過ぎていったあの頃が懐かしく、また、出来るなら、もう一度そんな時間を手に入れてみたいものです。


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ゆん

遅くから書込みます。
農山村で育ち、樹木を育てることに関する仕事をして
います。

あるとき、
会津若松の塗り物をされている方と話す機会があっ
て、
話しているうちに
「山で道に迷ったことはありますか?」
と、聞かれました。
「‥‥そういえば、ありません。」
と答えますと、
「それは、山の樹が見ていてくれるからだよ。だから
迷わないのだよ。」
と言われたのです。すっごい真剣な顔で。

なんだか、きつねにつままれたような不思議な感じに
なって、
どうなんだろう?
と、帰りの電車の中でずっと考えてしまいました。

そういえば、ビルの谷間や建物の中で迷子になること
はあっても、
古くからの公園や神社があるビルの谷間では
迷子にならないんです。
たぶん、樹の形なんかを覚えているのかなと思うので
すが、
その会津若松の人のように考えるのもいいなぁ
と思いました。(^^


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アン

マイケルジャクソンによって「ベジタリアン」という言葉を知ったとから、
妙な居心地の悪さを感じていました。

その理由は、彼らが草木の命を軽んじているからだ、
ということに気づいたのは、つい最近のことです。

私たちは「よだか」です。
命あるものから命をいただいて生きています。
動ける動物の命が、動かない植物の命より
優れている、という考え方には、私は納得できません。

私も命ある者たちと調和をはかって生きたいと思います。


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齋藤美代子

命の優劣を論じようとは思ってもいません。
 ただ 植物の命を表現する場合 我々動物の命とは違う表現法があるはず、と思ってしまう訳です。
 妖精 精霊 魂ーこんな具合に違うのです。これ等は英語にすると区別し易いのですが、植物の命 これを表現する影の命とも言う様な、適切な言葉があるのでは? あるいはまた一言で言いきる暗示のようなもの、教えてください。
 




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 好きな画家をあげろといわれたら、コンスタブルは間違いなく入る。すぐにでもその絵の中に入り、午後のひと時を過ごしたい。つまりは彼の描く風景が好きなのだ。 美術を学んだわけでなかったので、このコラムを書くために調べていて、彼が印象派の先鞭であったと知り、納得するところがあった。光を光として生かした絵。あの太陽を感じさせる風景画の魅力の一端はそんなところにあったのか。 もちろん、コンスタブルから印象主義の絵に至るまではまだ少しの距離がある。印象派の制作態度に共通するのは、「できるだけ色をまぜない」ということ。3原色を、できるだけそのままカンバスにのせる。テレビや印刷物になじんだぼくたちには慣れた概念だろう、点描でおかれた原色たちを離れたところから見ると、視覚混合によって求める色になる。 色は混ぜれば混ぜるほど暗くなる。だから、モネもルノアールもセザンヌも、できるだけ色を混ぜないようにした。光を描くため、空気を描くため。 印象主義という言葉の由来は、第1回グループ展に出展されたモネの『印象、日の出』にヒントを得て、彼らの作風を新聞記者が「印象主義者たち」と揶揄したことからついている。その名を、第3回グループ展からは彼ら自身が名乗るようになる。 アカデミズムが蔓延するサロンに反発してはじめたグループ展。自分たちへの揶揄さえとりこんだ命名。やわらかくてまぶしい光は、そんな芯の強い光に支えられてもいる。

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 高校生の頃、友人に「東京人みたいなしゃべりかたするなあ」とよく言われた。兵庫県の片田舎で生まれ、育っている。東京には住んだこともないし、当時は訪れたことさえなかった。母が若い頃数年間東京で暮らしていた影響じゃないかと答えておいた。 松本修著『全国アホ・バカ分布考』を読んでいて、そんな若い日の記憶がよみがえり、ふと手が止まった。テレビ番組がきっかけで学術的にも意味深い調査が生まれたとして話題になった書籍だ。その中に、「京都府の丹後半島などは東京式アクセントである」と書かれていたのだ。母は丹後の出身。とすると、東京暮らしなど関係なく、母はふるさとのアクセントでしゃべっていただけなのだ。それをぼくが受け継ぎ、「東京人みたい」と言われることになる。 といっても、東京のアクセントを丹後の人が真似しているわけではない。それは昔、京都でしゃべられていたアクセント。それが時代とともに周辺部に広がり、関東の人も使うようになる。しかし京都ではより新しい、今でいう関西風のアクセントが生まれ、それが広まっていく。しかし広まりきらないうちに、時代は現代へ。こうして、丹後と東京に似たようなアクセントが残る。丹後と東京では距離が違うが、半島部などでは言葉が残りやすいとされている。 中心地から同心円を描くように徐々に言葉が広がっていく。かつて柳田國男がとなえたこの考え方を「方言周圏論」という。「アホ・バカ」や「かわいそう」「みにくい」など感情表現について、大規模調査をふまえて方言周圏論を裏付けたのが「アホ・バカ分布調査」だった。大阪大学の徳川宗賢教授によると、言葉の伝達速度は年間930メートルともいう。東北地方には、かつて京都で話されていた言葉が残る、というのもおもしろい。ふと、はるか遠く、宇宙の果てを見ればこの宇宙のはじまりを見られる、という事実を連想する。 ルーツを知るには、周辺を知る。中央がすべてじゃ、ない。

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