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ちょっと知的な雑学&トリビア

印象派

2001年8月03日 【コラム
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 好きな画家をあげろといわれたら、コンスタブルは間違いなく入る。すぐにでもその絵の中に入り、午後のひと時を過ごしたい。つまりは彼の描く風景が好きなのだ。
 美術を学んだわけでなかったので、このコラムを書くために調べていて、彼が印象派の先鞭であったと知り、納得するところがあった。光を光として生かした絵。あの太陽を感じさせる風景画の魅力の一端はそんなところにあったのか。
 もちろん、コンスタブルから印象主義の絵に至るまではまだ少しの距離がある。印象派の制作態度に共通するのは、「できるだけ色をまぜない」ということ。3原色を、できるだけそのままカンバスにのせる。テレビや印刷物になじんだぼくたちには慣れた概念だろう、点描でおかれた原色たちを離れたところから見ると、視覚混合によって求める色になる。
 色は混ぜれば混ぜるほど暗くなる。だから、モネもルノアールもセザンヌも、できるだけ色を混ぜないようにした。光を描くため、空気を描くため。
 印象主義という言葉の由来は、第1回グループ展に出展されたモネの『印象、日の出』にヒントを得て、彼らの作風を新聞記者が「印象主義者たち」と揶揄したことからついている。その名を、第3回グループ展からは彼ら自身が名乗るようになる。
 アカデミズムが蔓延するサロンに反発してはじめたグループ展。自分たちへの揶揄さえとりこんだ命名。やわらかくてまぶしい光は、そんな芯の強い光に支えられてもいる。

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6 comments to...
“印象派”
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小橋昭彦

芽生えの遺伝子発見(朝日7月11日)。遺伝子には、必要なときまで働き出さないようにするかぎがかけられている(朝日7月6日)。生物時計の進みすぎを調整する遺伝子発見(朝日7月11日)。


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ジュモン

今、若い人たちが描く絵を見ていると、色感の良さに
驚きます。
たくさんの色を一画面で使いこなすのは難しいのだけ
れど、調和のとれた配色になっている。
透明感のある色調が特長です。

ボクの世代は、赤、青、黄の三原色で育った。
今の若者達は(TVやゲームなど、モニターを通して)
赤、青、緑の“光”三原色の影響の中で育ったため、
絵の具やマーカーなどを使ったアナログ画でも、
透明感のある色使いになる。
でも、輝度の高い色彩の絵が周りに目立つ環境は、眩
しいと目が疲れるように精神的に疲れるのがアナログ
三原色世代のボクです。

印象派の画家達が今に生きれば、混色を多用して
マットな深みのある色出しに生きたかもしれません
ね。


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小橋昭彦

あ、なるほど、同じ三原色でも印刷の三原色と光の三原色で世代が違うと。おもしろい視点ですね。たしかに、光の三原色は混ぜると明るくなりますね。


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てるまる

光の三原色の方が色としての印象は強烈がします。


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ガンダム

光と同じように、色を混ぜ合わせて、
白が造れる絵の具が出来ると、
絵の世界にも革命が起こるでしょうか。
できれば、印刷技術も発達して、
RGBで入校して、そのままきれいに
色を再現してもらえると、
制作表現の幅もひろがるのですがね。


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キンチャン

はじめてコメントします。
私もコンスタブルの絵がとても好きです。
初めてコンスタブルの風景画を見たとき、額縁を越えて
絵のなかにいるような感覚になり、「この絵はスゴイ
なぁ」と驚かされました。
見ていると、目の奥というか、額のあたりがジンワリくる
眩しさのような感覚がありましたが、絵の具の使い方が
生んだ効果だったのでしょうか。




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 パノラマという言葉の語源は、ギリシア語にある。pan(すべて)とhorama(眺め)の合成語だ。考案したのはイギリスのパーカーで、1788年のこと。名前の通り、周囲すべてを見渡せるというほか、時代や地域的制約をも超える。たとえば1950(昭和25)年に開かれた「アメリカ博」に登場した野外パノラマは、アメリカ一周がうたい文句で、自由の女神からナイヤガラ大瀑布、グランドキャニオンから金門橋までがつながっていたのだった。 パノラマが登場した18世紀末といえば、フランスのビュフォンによる『博物学』の刊行が続き、ちょうど博物学がブームだったころ。すべてを知りたい、すべてを眼中におさめたいという欲望が、そしてまたそれができるという自信が人類にあふれていた時代だったということだろうか。 日本におけるパノラマは、1890(明治23)年、浅草公園内に開館した日本パノラマ館にはじまる。第3回内国勧業博覧会をあてこんでつくられたものだ。その後、パノラマ館はあちこちに作られるが、やがて活動写真などに主役の座を奪われていく。 いま、ぼくたちは世界のパノラマを見せられても、「すべて」を眺めたとは思わない。すでに多くの情報をもっているゆえ、パノラマといえども世界の一部でしかないことを知っている。謙虚になったようにも思えるが、じつは「すべての眺め」さえ超えて世界を把握しているという思いをぼくたちは持っている気がする。パノラマに夢を見た時代、いや、夢を見られた時代が、なんだか懐かしい。

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 実家に帰った折に、高校生のころ読んだオールディスの『地球の長い午後』を読み返す。はるかな未来、地球は太陽に同じ面を向けて静止し、植物が支配する世界になっている。昼の側の半球をおおう一本のベンガルボダイジュ、月まで旅するツナワタリ。人間は植物と戦いながら暮らしている。めくるめく想像力。いまもぼくにとってのベストSFに入る長編だ。 統合バイオサイエンスセンターの塚谷裕一助教授による『植物のこころ』に、花見といえばすぐに思い浮かべるソメイヨシノはほとんどがクローンである、とあり、はっとする。ヒガンバナや竹だって、あるいはキンモクセイも、クローン。だからみんな同じような表情をし、ほとんどいっせいに花を咲かせる。似ているのも当然だったのだ。竹は地下でつながっている場合がほとんどだから、山を覆う竹やぶ全体がひとつの個体とも考えられる。巨大な生物。 オールディスの奇想も、けっして突飛ではなかったのだと納得する。単にホラ話を書いたというのではなく、身の回りの植物の声を聞き、姿を観察する中で、はるか未来の地球を夢想したのではなかったか。 植物を擬人化してかわいがったり、保護するといって強者の立場にたつのではなく、純粋にこの星を生きる仲間としてとらえること。草木が眠ったり、なびいたり、ゆるがなかったり。草木の動きを表現することで状況をうつしとる言葉の数々に、かつてはそれらが生きていることを実感していた時代があったことを思う。 いくら時代がスピードアップしたからって、草木のいのちを感じる感性は、100年やそこらで失われたりはしないと信じたい。ぼくたちは、多くのいのちにかこまれて、この星を生きている。

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