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ちょっと知的な雑学&トリビア

パノラマの時代

2001年8月02日 【コラム
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 パノラマという言葉の語源は、ギリシア語にある。pan(すべて)とhorama(眺め)の合成語だ。考案したのはイギリスのパーカーで、1788年のこと。名前の通り、周囲すべてを見渡せるというほか、時代や地域的制約をも超える。たとえば1950(昭和25)年に開かれた「アメリカ博」に登場した野外パノラマは、アメリカ一周がうたい文句で、自由の女神からナイヤガラ大瀑布、グランドキャニオンから金門橋までがつながっていたのだった。
 パノラマが登場した18世紀末といえば、フランスのビュフォンによる『博物学』の刊行が続き、ちょうど博物学がブームだったころ。すべてを知りたい、すべてを眼中におさめたいという欲望が、そしてまたそれができるという自信が人類にあふれていた時代だったということだろうか。
 日本におけるパノラマは、1890(明治23)年、浅草公園内に開館した日本パノラマ館にはじまる。第3回内国勧業博覧会をあてこんでつくられたものだ。その後、パノラマ館はあちこちに作られるが、やがて活動写真などに主役の座を奪われていく。
 いま、ぼくたちは世界のパノラマを見せられても、「すべて」を眺めたとは思わない。すでに多くの情報をもっているゆえ、パノラマといえども世界の一部でしかないことを知っている。謙虚になったようにも思えるが、じつは「すべての眺め」さえ超えて世界を把握しているという思いをぼくたちは持っている気がする。パノラマに夢を見た時代、いや、夢を見られた時代が、なんだか懐かしい。

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8 comments to...
“パノラマの時代”
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小橋昭彦

パノラマについては、「ディスプレイ・デザインの歴史」での解説が参考になります。


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カンジンスキー

東京ディズニーランドのマジックカーペットライド??だったか。


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ばっしー君

パノラマと言えば、映画の事だと思ってました。
パノラマで見た初めての映画は、「2001年宇宙の旅」です。1968年の事だと記憶しています。退屈ですっかり寝てしまった母親の隣で食い入るように映画を見てました。
座席から後ろを振り返ると、映写室からは3本の光の筋。
前を見れば、1枚の大画面。「何でこうなるの?」と当時小学生だった私は不思議でしようがありませんでした。
「2001年宇宙の旅」の宣伝コピーの一節に”今から33年後の未来がここにある”とか何とかいうセリフがあったような気がします。気がつけば、何と今年のことじゃあ0りませんか。33年前に夢見た自分は、たびたび「月」に出張に行くことになってましたけど、今は「月」は自分の家から眺めるのが一番いいと思っています。田舎なので、月もパノラマ状態で見られますから。


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oyachin

パノラマと言えば、パノラマサイズの写真。一時はやったけれど、今はハイビジョンサイズだなんだとバリエーションが出来てしまって影が薄くなりましたね。アルバムに整理するとき不便だということもあるかもしれません。他の方もコメントされていますが、パノラマの思い出というとやはり映画ですね。シネマのパノラマということで、「シネラマ」なんて造語が使われていました。小学生の頃、友達とそのお母さんに連れられて、当時大阪に一軒だけだったシネラマ上映館(梅田OSだったかな)に見に行ったのが初めての映画のパノラマ体験です。かかっていたのは「特攻大作戦」という戦争洋画でした。予告編をみてると次にかかるのが「2001年宇宙の旅」だったので、友達のお母さんが「次やる方がおもしろそうやったな」とちょっと残念そうにしていたのを覚えています。「2001年宇宙の旅」はその後再上映で見るチャンスを得て、都合304回見に行きました。そのなかでは、キリスト教にちょっと傾倒していた大学生のころ見たのがいちばん感動しました。あの黒い板、モノリス(でしたっけ)は一神教の神様の象徴だと思っています。いまあの映画をみたら、自分は感動するだろうか?と考えてしまいました。


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alex

長い海外の旅から自分の家に帰ってきて、ようやく自分のお布団に入れたとき、「あー。やっと帰ってきた。」と思った。
そこには、天井のはりや、蹴飛ばして空いてしまったふすま。
自分の枕や、おじいちゃんの形見の羽毛布団。

いつもと変わらない風景。
これが私にとっての、『すべての眺め』なのかもしれません。


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NANA

パノラマと言えばパノラマ写真しか思い浮かびません。
なので今日のコラムはちんぶんかんぶんでした。
映画と同じようにパノラマというジャンルがあるの?


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エミュー

パノラマと言えば、名古屋鉄道のパノラマカーですかねぇ。
電車の最前部と最後尾が展望室になっていて運転室が2階にある車両です。珍しいのでは?
現在もたくさん走っていて、普通電車や急行電車に使われています。特別な料金は必要ないので、この電車が来るとついつい前の方へ行ってしまいます。


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アン

パノラマがパーマーの造語だったとは。びっくりです。

最も「パノラマ」に近い言語、英語でさえ日々変化しています。私たちは全てを手に入れた、と思いながら、実はお釈迦さまの手のひらにいるのかも。

私はわからないことがたくさんあるので幸せです。




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 インド映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』に、主人公が馬車による逃走からふと気づくと言葉の通じない地方に来ていててんやわんやするエピソードがある。日本の言葉事情に慣れた身からはそんな光景がひどく新鮮。インドの公用語は英語とヒンディ語とはいえ、州によっても公用語があり、その数だけでも10を超える。 インド亜大陸の南端ではテルグ語やマラヤラム語などが話されているけれど、東南端で話されているのがタミル語。全人口のおよそ5%が話しているという。5%といっても人口10億人の国、5000万人にあたるから大言語だ。 そのタミル語と日本語に共通点を見出し、日本語の起源を南インドに求めたのが大野晋氏だった。縄文末期、船で渡来したこれらの人びとの話す言葉が、農耕などとともに広がっていったと。 では縄文時代はどんな言葉が話されていたのか。それを縄文語と名づけ、アイヌ語がその末裔ではないかとするのが大山元氏。ワニ(今でいうシャチか)の上を渡って向こう岸に行ったという因幡の白兎の話も、シャチをアイヌ語で表現すると「沖にいる神」となり、唐突なエピソードではなくなる、などの分析を重ねている。 日本語がどのように移り変わってきたのか、まだ定まった説はない。いまは「ホシ」と発言している空に輝く星も、室町時代には「フォシ」であり、奈良時代からさらにさかのぼると「ポシ」だったかもしれないなど、近い時代にも変化は少なくない。 と同時に、5%が少ないと思っていたら5000万人だったとか、縄文時代と表現されてつい江戸時代などと同じようにとらえているとそれは1万年も続く長い時間のことを意味しているとか、言葉に隠されがちな真の姿のことも、ぼくたちは忘れないようにしたい。

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 好きな画家をあげろといわれたら、コンスタブルは間違いなく入る。すぐにでもその絵の中に入り、午後のひと時を過ごしたい。つまりは彼の描く風景が好きなのだ。 美術を学んだわけでなかったので、このコラムを書くために調べていて、彼が印象派の先鞭であったと知り、納得するところがあった。光を光として生かした絵。あの太陽を感じさせる風景画の魅力の一端はそんなところにあったのか。 もちろん、コンスタブルから印象主義の絵に至るまではまだ少しの距離がある。印象派の制作態度に共通するのは、「できるだけ色をまぜない」ということ。3原色を、できるだけそのままカンバスにのせる。テレビや印刷物になじんだぼくたちには慣れた概念だろう、点描でおかれた原色たちを離れたところから見ると、視覚混合によって求める色になる。 色は混ぜれば混ぜるほど暗くなる。だから、モネもルノアールもセザンヌも、できるだけ色を混ぜないようにした。光を描くため、空気を描くため。 印象主義という言葉の由来は、第1回グループ展に出展されたモネの『印象、日の出』にヒントを得て、彼らの作風を新聞記者が「印象主義者たち」と揶揄したことからついている。その名を、第3回グループ展からは彼ら自身が名乗るようになる。 アカデミズムが蔓延するサロンに反発してはじめたグループ展。自分たちへの揶揄さえとりこんだ命名。やわらかくてまぶしい光は、そんな芯の強い光に支えられてもいる。

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