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ちょっと知的な雑学&トリビア

上履き

2001年7月23日 【コラム
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 あれはたしかベーブ・ルース伝を読んだときだったろうか。豪傑さを紹介するエピソードとして、寮に朝帰りした話が紹介されていた。見回りにばれないよう急いでベッドにもぐりこんだものの、靴をはいたままだったのでばれてしまった、というオチ。いくら急いでいるからってベッドまで靴で行くなんてと、ずいぶん不思議だった。まだ子ども、洋風家屋では室内も靴のままなんて知らなかった。
 室内で靴を履くといえば、大学に入ったとき、靴のまま教室にあがることが高校までと違っていて新鮮だった。なんでも大学は、日本に導入された当初から外国人教師を招いたり、西洋式の校舎を建てたりして、欧米風を目指すという原則があったからという。
 旧制中学、現在の高校も大学を真似ていたので、もとは上履きがなかった。その後小中学校式に変わっていくが、いまでも伝統校では上履きがないところが多いようだ。
 一方、明治時代にはじまった初等教育は、はじめ寺などを使っていたため、玄関で靴を脱ぎ、夏は素足、冬は足袋や草履をはく習慣だったという。この習慣が、その後洋風の校舎が建てられたあとも引き継がれていく。そもそも雨の多い日本では、下足のまま校舎に上がると汚れてしまうという事情もあった。
 最近ではゴム地の校庭が登場した関係で靴が汚れることも少なくなり、上履きをやめる学校も出てきている。ズック型の上履きは1910年代に登場したようだけれど、考えてみれば広大な下駄箱スペースというのも、上履き文化ゆえの校舎の特色ではあった。
 上履きが消えて、下駄箱が消える。さて、とするとラブレターはどこに入れればいいのか。というオチも、そのうち通じなくなるのかなあ。

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10 comments to...
“上履き”
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小橋昭彦

学校にあるいろいろなモノについて調べるというのもおもしろいテーマですね。「個人研究」で取り組まれている方もいらっしゃるようです。「下足と上履き」のことを調べた方も。『学校のモノ語り』『教育の歴史(放送大学教材)』といった書籍でも触れられているようです。


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第三市民

日本で一般的なスリッパは外国で寝室などで寛ぐ時に履く物とはルーツが
違うらしい。日本の旅館に逗留する外国人が靴を脱がないので、スリッパに
履き替えさせたことが日本での爆発的な普及の理由という説がある。

ベルリンの南ポツダムにあるサンスーシー宮殿の絵画館は壁一面に額縁の絵を
飾る方式の絢爛豪華な美術館であるが、靴の上に馬が履くような大きなスリッパ
を着用しないと見学できない。

ところがそのスリッパが毛足の長いシャギー風なので、毎日利用する人達が靴
に付けて持ち込んだ埃が溜まって、歩く度に「もやっと」煙が立つほど。
なんのためのスリッパか?ドイツ人の合理的精神の典型的な破綻を思った。

ただし入館料は極めて安く、日本のように単行本が買えそうな高額ではなかった。


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月の猫

わたしは幼い頃外国から日本にやってきたのですが、上履きについてはいつも不思議でなりませんでした。
子供ごころながらに「がっこうがよごれるから」などと思っていましたが、今になって思えば確かに不思議な習慣ではあります。

ちなみにわたしの小学校では、上履きの甲の部分にマジックで【日の丸】を入れることが校則でした。外国人のわたしにはなんとも…


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konet

そういわれてみると大学は下足のままですね。それでいても校内がピカピカなのは掃除のオバチャンたちのおかげです。

今日もこれから綺麗な学校にいくけれど足が重い。だってテストを受けにいくのですから…。


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やっさん

「ラブレターはメールボックスに」っていうのも、今どきだったらあたりまえになりそうだけど、なんか味気ないなぁ。。。


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くの

中学生のころ,下駄箱に手紙が入ってたのを覚えてます.
内容は「今日の昼休み体育館の入り口で待ってます」

それを見た僕は,大変なショックを受けた.
何しろ,その手紙を見つけたのは,放課後.
部活(吹奏楽部)が終わって,さぁ帰ろうというとき.

当時,朝錬と称して,学校のカギが開くと同時に,音楽室に直行して楽器を吹いていた.

おそらく,手紙の差出人は,僕より後に学校に来たんでしょう.そりゃあたりまえだろうな.

もちろん,その後は何もありませんでした.


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ゆう

僕はとある国立大学付属高校に通っていました。
確かに、上履きがなかったです。
でも、おかしなことに、付属の中学にはあったんですねぇ。
どっちかに揃えればいいのに…
ん0、なんで?!


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こま

私の行った高校は県立の古いところでした。
唯一あった校則は「土足で上がってはいけない」
そして「上履きで外に出ていい」のです。
何でも、10分しかない休み時間でも
体を動かしに校庭に出ることを奨励した伝統だから
との説明があったように記憶しています。
こうなると、履き替えていても教室は土足で上がったのと
同じような状態で、砂で汚かった。
納得のいかない校則と習慣でした。

リビングデザインセンター(新宿)が毎年
日本人の暮らしについて面白い企画展をしています。
最初が「靴脱ぎ」でした。
清潔面や気候風土や習慣だけでなく、
もっと奥深い精神的な説明がありました。


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小橋昭彦

このコラムを書いた時に参考にした本、という質問をいただきました。正直昔のことなので覚えていないのですが、コラム欄で触れたのは、「教育の歴史」「学校のモノ語り」です。
さらに調べる場合は、これらの本で紹介されている参考文献をたどっていくなども方法。靴や服飾の歴史だけじゃなく、教育の歴史がからんでくるんですねぇ。
あと、もし今調べるなら、下記のようなメーカーに尋ねるのも一歩ですね。「つきほしバーチャル歴史館」「アサヒシューズ」ほかにどんなスクールシューズ、体育館シューズを覚えていらっしゃるかな。
なお、その後の地元紙で「神戸に土足 なぜ多い?」なんて記事もありました。
以上、ご参考まで。


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よしとも

質問をした者です。
ご回答ありがとうございます!
参考にさせていただきます。




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Your Comment:

 1932年、アインシュタインとフロイトの間で交わされた有名な書簡がある。アインシュタインが国際連盟からの依頼に応じて行ったもので、彼が選んだテーマは、ヒトはなぜ戦うのか、だった。フロイトからの回答には、「人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうにもない」とある。アインシュタインも、人間には闘争本能があると前提していたようだ。 たしかに、当時はマクドゥーガルが理論化した人間の本能としても、逃走や拒否、性、模倣などと並んで闘争があげられており、闘争本能の存在は一般に信じられてもいたのだろう。しかし現在、闘争本能という言葉は日常的にはともかく、学問的にはほとんど使われない。動物行動学などの成果から本能そのものへの考え方が変化してきたことが背景にあるけれど、そもそも「人間が戦うのは闘争本能があるからだ」なんてのは、同語反復に過ぎないのでもある。 映画『2001年宇宙の旅』には、原始時代から人間が集団間で争ってきたこと、そのために武器が作り出され、それが文明の発展につながったことを暗示するシーンがある。しかしじっさいは、個人的な争いはともかく、はじめから人間が集団間で「戦争」していたかというと、あやしい。日本でも「戦争」のはじまりは、農耕のはじまりと関係が深い。 戦争の「考古学的証拠」としては武器、守りの施設、武器によって傷ついた人の遺骸、武器をそなえた墓、武器崇拝、戦いをあらわした芸術作品などがあげられる。縄文時代には、これらが見られることはほとんどない。岡山大学の松木武彦助教授は、戦争は渡来者とともに朝鮮半島からもたらされた「思想」だったと指摘している。 そもそも、多くの人が傷つき倒れていくのを前に、本能だからしかたない、ではかなしい。闘争本能が人間社会を進化させてきたという表現だって、わかりすぎるだけに要注意か。どこかの政党CMじゃないけど、ほんとうに怖いことは、わかりすぎる表現の中に潜んでいるのかも。思考停止を招いちゃうもんね。闘争本能っていう言葉を、安易に使いすぎていたかもしれないと反省する。もっともっと、考えなくては。 ぼくたちは、なぜ戦うのだろう。

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 昨日のテーマが「上履き」で今日が「したばき」。ねらったわけじゃないけど、いや、まあちょっとは狙ったとしても、下履きならぬ、下穿の話。 ローライズパンツを履いていると、どうしたって浅いまた上から下着がのぞきそうになる。だったら見せることを前提にした下着を、というのが若い女性の工夫。男の子がトランクスを見せているのには閉口したものだけれど、こちらはさて。 下着を見せる流行は現代に限った話ではない。フランス革命当時のフランスでは、イギリスから伝わってきた「ストリップ・モード」なるものが流行したという。コルセットもパニエも捨て、いかに薄く着るかを競ったもの。婦人服の全重量は靴や装飾品を入れても約230グラム以下でなんてルールがあったほどだから筋金入りだ。いや、ガーゼのヴェールだけをまとってパリのティルリーの庭を散歩した銀行家夫人もいたというから、筋金を入れる余裕さえないわけだけど。 ちなみにそれより以前、17世紀のフランスでは、下着はたいそう重いものだった。なにせ金銀のレースをつけるなどぞんぶんに装飾されている。洗濯が気になるところだけれど、水で洗うことは健康に良くないと考えられてもおり、概して不潔だった。美しくても清くはなかったわけだ。 洗わないといえば、スペインのイサベラ女王の伝説も残る。1601年に夫が闘いをはじめたとき、成功するまでは下着を替えないと神に誓ったという。けっきょく闘いが終了したのは1604年。そのとき下着がどうなっていたかは、あえて想像しない。 ついでに相撲のまわしも洗わないけど、水入りにならないよう縁起をかついでとも、十両以上のまわしは絹でできていて高価だからともいう。 とまれ下着は、衛生面、機能面とともに、美的な面もかねそなえつつ発展してきた。ローライズからのぞく下着も、なにかを主張してはいるのだろう。ま、なにを主張しているかくみとろうとじっくり見ることだけはしないでおく。

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