親子の絆
子どもをつくるという表現の特徴に気づかされたのは柏木恵子氏の著書『子どもという価値』のおかげだった。何気なく使う表現だけれど、たとえばそれは「授かる」にくらべて、親の意思を前面に出している。計画出産することが多い現状を反映した言葉ではあるだろう。ただその延長にどことなく、子どもを第三者的な存在として切り離し、ときとして自分の自由な生活への脅威とさえ考えてしまう傾向がある気がしないでもなく、ちょっとばかり落ち着かない。
子を宿すとはどういうことだろう。出産を経たラットは餌の位置を記憶する能力がよりすぐれているという研究報告や、人間の場合でも、子どもを持った人のほうがさまざまな仕事をこなすマルチタスク能力が高いといった報告が出されている。おどろかされたのは、胎児の細胞が母親の脳に入りこむという話だった。シンガポールの研究者らが昨年の夏、マウスで発見した。人間でも、母親の血液に胎児の細胞が入り込むことは知られている。出産後27年以上も母親の体内に残る場合もあるというから、親子の絆は深い。脳に入っている可能性も高いだろう。
マウスでは母親の脳細胞の1000個に1個、ときには10個もが胎児由来だったという。胎児の細胞はさまざまな器官や組織に成長できる。実験では、傷ついた部分にほど多く集まったというから、母の傷を子の細胞が修復しようとしているようだ。ちなみに、ニューイングランド長寿研究によれば、40歳以上で妊娠したことのある女性の方が、100歳まで生きる可能性が高いという。子の細胞の力が関係しているのかどうか。負うた子に教えられるとは古いことわざだが、最先端の科学は、宿した子に助けられる姿をかいまみせてくれている。
だから子どもをつくろうとオチをつける気はない。親子の絆は、そういう功利的な視点を超えたところにあるような気がするし、それは、人間社会よりずっと長い生命の歴史によって築かれたものだから。
“親子の絆”