小橋 昭彦 2005年12月1日

 関わりのある若手経営者塾がカップリング・パーティを企画している。農山漁村部の男性に出会いの機会を作る県の事業があり、その支援を受けつつである。会の進行計画に悩む様子を見つつ、米国でのある研究発表を思い出していた。出会いは最初の3分で決まる、という。意識しているしていないに関わらず、最初に見初めた相手にひかれる確率が高いのだと。
 そういえばヘレン・フィッシャーの『人はなぜ恋に落ちるのか?』に、ひと目惚れには必然性があるとあった。多くの生物のメスは生殖できる期間が限られているから、恋愛の前段階に時間やエネルギーをかけると子孫を残すチャンスを逸するのだ。彼女は、離婚も同様の視点から説明している。国連が発行する人口統計年鑑を調べたところ、多くの地域で4年目の離婚が多いという傾向を見出した。つがいで子育てをするほ乳類の多くは子どもが巣立つと離れるが、人類も同じように4年サイクルで子育てをしてきたのではないか、という。
 恋する人の脳をスキャンした結果も報告されている。それによると、パートナーの写真を見たときに活性化される脳の部分は、報酬システムの一部であるという。恋する人を思うことは、ご褒美をもらったときに喜び、またご褒美をほしいと願う、同じ機構によっているわけだ。こうした恋愛感情はある種の麻薬中毒状態に似ている。寝ても覚めてもその人のことを思うのも仕方のないところか。
 人は、遺伝子的に自分と適合していながら、少しだけ違っている人にひかれるという。自分の遺伝子を残しつつも、ある程度は多様性を確保して生き残りの可能性を高める戦略と考えれば、納得できる話ではある。ただ、それでもやはり多くの人にとって、自分が愛する人を前に、なぜ「その人」なのかは、疑問のまま残ることだろう。いまこの時、この地でこの人に出会えたことの不思議。その不思議こそ恋の、美しさでありはかなさでもある。

4 thoughts on “なぜ恋を

  1. ヘレン・フィッシャー」の『人はなぜ恋に落ちるのか?』を参照しました。
    最初の3分という話は「Robert Kurzban」によるもので、「Falling in Love in Three Minutes or Less」を参照ください。
    自分と似た遺伝子の人を好むという研究は、「ニオイのチカラ [02.03.17]」で紹介した、お父さんのシャツの話です。
    なお、経営者塾主催のカップリングパーティについては「クリスマスふれ愛カップリングパーティ」をご参照ください。兵庫県の出会い事業は「こうのとりの会」です。

  2. 「愛はなぜ終わるか」に興味があってそちらを読んでいた。同じフィッシャーが恋愛について書いていたことは知らなかった、そこで小橋さんの記述に戻ると異性の選択にあたり「遺伝子的に自己に適合していながら、少し異なる異性を求める」傾向があるという結論事後的な統計の故のはずです。この議論の根底には「症候群研究法」いわゆるグループ事例統計的な手法の弊害が隠れている。この方法に反する「単一ケース研究法」が採用それてきたのは唯一「認知神経心理学」による基本的見解だ。つまり「対象(患者)を常に統計的、確率的にしか観察しない現代科学の手法そのものが問われていると私は思う。ということは統計による確率論的手法は確率的にしか治癒させることができない医療を指し示し、それは戦時などのように多数の対象者を多数の地域で同時的に発生させる現場などでのみ臨時的に採用される場合唯一その合理性が認められるだ本手法はげんざいのような平時まで延長してしまう「現代の医療」などの環境では医療ミス(医療過誤)が多発して当然なのだ。

  3. そうすると、好きな人にはご褒美をあげた方が、好意を持たれる可能性が多くなるかもしれませんね。脳の活性化する部分が近い場合、相互に影響を与えるといわれてますからね。(お化け屋敷のドキドキと恋愛のときめきなど)
    そういえば教師と生徒や、上司と部下などの恋愛話は多いですね。

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