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ちょっと知的な雑学&トリビア

出来事時間

2005年1月13日 【コラム
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 心理的時間を扱った『時間を作る、時間を生きる』を読んでいて、子どもの時間は出来事時間だという指摘が心に残った。チンという呼び鈴を最初と最後に鳴らして40秒を区切って聞かせる。被験者はその後、自分でキーを押して、それと同じと思う長さを再生する。この再生時間が、大人と子どもでは違う。
 一般に再生時間は、子どもの方が短いことが知られている。松田文子氏による実験では、大人は平均38.1秒だったのに対し、小学1年生は29.0秒で区切ってしまったという。大人にとっての40秒が子どもにとっては30秒なわけで、心理的時間は年齢の逆数に比例するというジャネの法則の説明にもなるだろう。
 さて、最初に40秒を体験してもらうとき、沈黙ではなく完結した童話を聞いてもらうとどうか。時間の経過への注意が減少するから、40秒を短く感じる。再生時間は、大人で32.9秒、小学1年生で18.0秒と沈黙条件より短くなる。そしてこの数字からわかるように、この効果は大人より子どもにおいて、より大きいのだ。大人は時計時間に引き戻される様子だけれど、子どもは出来事に左右されやすい。つまり出来事時間に生きていると。
 大人は時計に支配されて悲しいね、と締めくくればスマートだが、そう感じることを不思議に思わないでもない。それというのも、そもそもぼくたちが時計時間を意識し始めたのは新しい時代のことで、近代日本の時間意識形成を追った『遅刻の誕生』に、大正九(1920)年に東京教育博物館で開催された「時」博覧会や同時期の「時の記念日」の制定など、時間意識は大正期に庶民への浸透が図られたと指摘されている。
 こうした流れからすると、時計時間の浸透は「進歩」であっていいはずなのに、人々はむしろそれを悲しんでいる。あるいは大正期からずっとぼくたちは、時間意識とは押し付けられるもので、自分たちを支配する道具であると、どこかで感じ続けていたのかもしれない。

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13 comments to...
“出来事時間”
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小橋昭彦

時間を作る、時間を生きる』が今回の参考書。『遅刻の誕生』は以前取り上げた気がしたのですが、まだだったみたいですね。

ちなみに時間意識については「時の記念日アンケート調査」がおもしろいです。


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佐倉弘持

近代文明が日本に浸透した大正デモクラシーの時代に時間に拘束される文化浸透したことになるが、反面、古きよき時代の自由さを失うことに対し、当時の日本人は疑問をもたなかったのだろうか?


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トクツトミオ

1/13の雑学メール拝受しました、今回は私に関係深い心理の話題でした。この話題から私が連想したのが「エコマネーの概念」でした。近々友人が宇治市に神社を開設します。そこでの奉仕をする方々に以前から同志社大学等で実験していて知っていたエコマネーを連結すると面白いと考えていましたがそこへ向けて参考になる基礎的なお金と時間の関係を美味く説明できるかもしれないと感じた今回の話題提供です。本も読みますがこのテーマで動きませんか、十分拾い建物は既に宇治にあるので中身について主宰者と近々会い、相談します、一つのアイデアになりますね、


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やぎ としはる

【出来事時間】を読みながら、久しぶりにミヒャエル・エンデの「時間泥棒」を思い出しました。
「モモ」に出てくる話ですが、出来事時間を読ませていただくと大正期より日本では時間泥棒が活躍し始めたのかもしれませんね。
エンデ氏は、エコマネーの継承者であり、ブームの火付け役になった人です。
かの地震で地球の時間が短くなったとNASAが発表したようですが、実際には、既に相当短くなっているように感じているのが現代人でしょう。
地球も宇宙も何億年も変わらずに営み続けているのに人間だけが時間を短く感じているということは、やはりどこかに時間泥棒がいるのかもしれませんね。


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しゃあ

大学の時 射撃の選手でした。
かまえてから撃つまで 20秒を超える射撃には 失敗が多い。(まぁ ウルトラ大雑把ですが)
この時 射手は撃発に集中しているので 時間を計ろうとする感覚は 小さいと思います。
これについては (先輩射手のご意見もございましょうが) ヒトの感じる「意識の上での時間」と 「肉体の捉える時間」に随分と差があるものだと感じました。
 
 射手の集中出来る時間を計るためにこんな実験をすると聞いた事があります。
「時計を見ていいので 正確に43秒ごとにコールして下さい。」と 言います。 検査者は 被験者の「目」に注目します。いったい何秒間時計の秒針を見つめていられるのかを 観察します。
すると だいたい20025秒間秒針に注目し その後 秒針から目を逸らしたり 集中が途切れるそうです。 つまり 「20秒を超える射撃は 仕切り直しが望ましい」と言う事の様です。
まぁ 戦場のスナイパーは そんな選択はしないのでしょうが・・・。


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しゃあ

え0っと つまり 興味のある課題が与えられた時 ヒトは時間の感覚を失うということでしょうか。

撃発に至るまでは ボクにとっての「出来事時間」って事ですね。 でも射撃の瞬間が 「出来事時間に生きる」子供の様だとしたら 怖いですね。


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maike

以前、心臓の鼓動のタイミングが体感時間を決めているのではないかという話を聞いたことがあります。何百年も生きるゾウガメも1週間しか生きない虫も一生に打つ心臓の鼓動数はほぼ同じなので(人間の場合は医学により長命化しているので例外)、寿命の長短に関係なくそれぞれの体感時間も同じくらいなのではないかという話でした。その原理でいうと、子供のころは心臓の鼓動が早いので時間を長く感じ、年をとるにつれて鼓動がゆっくりになるので時が飛ぶように感じるようになると説明できます。また緊張しているときは鼓動が早いので時間を長く感じ、会議や授業中は鼓動がゆっくりなので長く感じるともいえます。出来事時間との兼ね合いはどうでしょうか?


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小橋昭彦

しゃあさん、射撃の話、おもしろいです。20秒というのは初耳で、ちょっと踏み込んでみたくなりました。

maikeさん、はい、心拍とその人が好むテンポには相関があると、冒頭に掲げた書籍でも実験結果が紹介されていました(最近はテレビゲームなど心拍を増やす要因が多いので、アップテンポの曲がヒットしやすくなったのではないかとも……)。心理的時間との関連もありそうです。


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ななし

maikeさん、さすがに虫とゾウガメの拍動数が同じなんて事はないですよ。^^;
例の「ゾウの時間 ネズミの時間」でも、そんな事までは言ってません。

「ゾウの時間 ネズミの時間」は読み物としては面白いんですが…

こんな事、書いてる人もいます。
異説「ゾウの時間 ネズミの時間」
http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms/antiEtoMtime00.html


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ななし

すみません。書き漏らした事があったので… m(_ _)m

人間が例外的に長生きなのは医学等が発達したせい、と説明している例をよく見かけます。
しかし実際には医学等の進歩で伸びたのは(限界)寿命ではなく平均寿命です。
大昔から少数ながら現代人と同じくらい長生きの人もいましたし、平均寿命が20年程度の時代の40才の人が老人だった訳でもありません。
医学等の進歩で人間の(限界)寿命が伸びたのではなく、元々人間の寿命は長いのです。


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小橋昭彦

ななしさん、詳細情報、ありがとうございます。

そうですね、人間が長寿になったと考えている人、多いですよね。それは昔から120歳くらいかな、で変わっていない。この限界寿命そのものを伸ばす研究は、ようやく緒についてきたところかな? こんどこちらでまとめてみるかもしれません。


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しゃあ 

時間と言うものを 客観的に見る為の時計。この機械を疑う事はボクには難しい。 
同じゾウ同士 ネズミ同士でも「体感時間」となるとそれぞれの 人生観って言うか「ゾウセイカン」「ネズミセイカン」が 関係しませんかね。まぁ 理屈抜きにコレ位は お許し下さい。


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しゃあ 

ななしさん いつも刺激を頂きます。有り難い事です。




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 人類の進化に、長距離走が役立ったという説がある。約200万年前の原人の化石は、足の長さが1.5倍になるなど、長距離の移動に向いた骨格になっている。これを詳しく調べたところ、原人には、走るときの衝撃に耐えられる特徴が揃っていたという。たとえば尻の大きさは歩くには必要なく、走るときにこそ役立つサイズなのだそうだ。 確かに人類は、ぼくたち新人に至るまで、アフリカに生まれては世界に広がる「出アフリカ」を何度か繰り返している。想像よりも早くに各地に広がってもおり、その道中を走ったとまでは言わないけれど、遠くへ、遠くへという気持ちが進化の上で刻み込まれてはいそうだ。 それにしてもなぜ、人類は長距離を走ったのか。アフリカのサバンナで、遠い地平線を見て旅に出たくなったといったロマンチックな理由ではないようだ。彼らが見ていたのは、青い地平線ではなく、その上を舞うハゲタカだったのではないかという。当時、人類は屍肉を食べて栄養を補っていたという見方がある。短距離走で劣っていた人類は、その場で闘うよりも、残り物をあさることで栄養価の高い食事をとる方が安全で効率的だったわけだ。そうなるとハイエナなどと競争しつつ、一刻も早く残り物のあるところにたどり着いた方が生き延びる。そうして人類は長距離に長けることになったのではないかと。 走ることは、人類がバランス感覚を養ったりするのにも役立ったともいう。他の霊長類は長距離を走ることをしないので、走ることがヒトをヒトにしたと言えなくもない。もっとも、言語や長寿、脳のサイズなどにヒトの特徴を求める説も強い。米国では遺伝子操作によって通常のマウスの倍の距離を走ることができるマラソン・マウスが生まれ、また人間でも長距離選手に多いミトコンドリア遺伝子型が見つかった。ぼくたちは、走ることを、いつからしているのだろう。謎解きは、まだ始まったばかりだ。 この一年も走り続けることになりそうです。本年もよろしくお願いいたします。

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 怒りを溜め込んでいると、キレるリスクが高まると信じられている。それにどう対処するか。ちょっと軽いけれど、昨年流行ったフレーズで表現するなら、こんなところか。 暴力的な気持ちになったなら、パンチングバッグでも叩いて発散させれば、カタルシスが得られてすっきりするって、言うじゃない。でも、実証研究からは、カタルシス効果って認められていないんだよね。残念。それどころか、むしろ攻撃性を高めるんだって。斬り。 米国の研究者らが、被験者に怒りの感情を抱かせて、その後どういう行動をとるかを実験した。カタルシス効果を信じている被験者は、リラクゼーションなど反カタルシス効果を信じる被験者より、攻撃的な行動を選ぶ率が高い。しかもその攻撃性は、怒りの原因となる相手に対してであろうと、それ以外の人に対してであろうと、変わりなかったという。 研究者らはさらに、パンチングバッグを叩くことを楽しんだ被験者は、より攻撃的になる傾向が見られたという。気持ちをすっきりさせると信じてとった行動が、攻撃性を高めている。その理由は、プライミング効果といった心理面からも説明できるけれど、オランダとハンガリーの研究者らが最近行った研究は、ホルモンという視点から裏付けている。 彼らが行ったのはネズミによる実験。暴力をつかさどる神経経路を刺激すると、ストレスホルモンに対する反応が高まる。次にストレスホルモンを投与すると、行動が攻撃的になる。つまり、暴力的な行動がストレスホルモンを増やし、増えたストレスホルモンがいっそう攻撃性を高めるという、悪循環が芽生えているのだ。 何かに腹が立ったとき、パンチングバッグに怒りをぶつけたり、バイオレンス映画に我を忘れるのは、ある意味でたやすい。それをカタルシスと理屈づけて逃げるのではなく、怒りに向かい合い、それでもなおかつ心をリラックスさせる困難な道を、ぼくたちは選ぶべきということなのだろう。

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