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ちょっと知的な雑学&トリビア

どちらが重いか

2003年5月05日 【コラム
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 1歳になった子どもを抱いて散歩。「大きくなったね」と知人に声かけられて、米袋と同じ重さですから、なんて答える。およそ10キロ。上の子のときも同じように答えていたが、口にしつつ、ほんとうに同じだろうかと疑問を抱いてもいた。米袋を抱えて半時間も散歩するのは辛いが、子どもなら大丈夫。
 ロボットコンテストの立役者として知られる森政弘博士の『機械部品の幕の内弁当』に印象的な挿話がある。10キロの綿と10キロの鉄ではどちらが重いか、という問題だ。謎かけのようでもある。つい鉄と答えてしまい、同じというのが一般的なオチか。じつは「同じ」という答えも、間違いではないけれど、単純すぎる。森博士はそれを外側発想と呼んでいる。実際に持ってみると、綿の方が重い。鉄なら手で持ち上げられるけれど、10キロの綿はかさばるので全身の筋肉を使う。だからはるかに重く感じる。これが内側発想。その伝でいけば、鉄の10キロ、米袋の10キロより、笑顔を見せてくれる子どもの10キロがずっと軽いのは当然だ。
 ぼくたちはつい外側発想をしてしまう。創造力を高めるためには内側発想を心がけようというのがここでのポイントではあるけれど、重要なのは外側か内側かではなく、固定された視点を持たないことにある。有名なエレベーターの待ち時間対策もそう。エレベーターの速度をあげたり、複数台設置するのではなく、エレベーターホールに鏡を設置しただけで顧客の不満が解消した、という逸話。達成すべき課題を顧客の不満の解消と読みかえ、鏡で身だしなみをなおすなどの機会を与えることで不満をなくしたわけ。
 手術後疲れやすくなって米袋を運ぶのも大儀そうな父が、孫をにこにこと抱き上げている。重さとはキログラムだけで表されるものではない。初夏の光のなかで笑顔を見つつ、あらためてそう思う。人を動かす力はどこに生まれるかと、そんなことを考えもした。

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14 comments to...
“どちらが重いか”
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小橋昭彦

機械部品の幕の内弁当』お薦めです。「ロボコン」いいですねぇ。エレベーターの逸話については、「問題解決という「問題」」でも紹介されていますので、どうぞ。


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平山 滋

米の10Kと生きてる子供の10Kは、子供の10Kが軽い。
では、米の10Kと死んでる子供の10Kはどっちが軽いか?
持ちやすさで考えると米。
生きてる子供はしがみついたり、持たれやすいように態勢を工夫しているから。
別に笑顔で軽くなるわけじゃないと思う。


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fuhiro

鉄 10キロは主に手だけで支えるので持ち手への
接触面積がすくないが、子供 10キロは子供全身
で親へ接触し又親も荷重が少なくなるように子供を
つかまらせます。
なるべく楽になるように抱きますからつかれないのだと
おもいます。
負担軽減に協力してくれない眠っている子供はもっと
重くなりますし、もし死体だとさらに重く感じられます。
            いじょう


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saburo

子供を持つときは、母性本能の影響で特殊なホルモンが分泌されて力が出やすくなるらしいですよ。だから子供は持てても、同じ重さ、同じ形状のものは持てなかったりする。火事場の馬鹿力とまあだいたいいっしょです。笑顔で軽くなるのですよ。SMILE!


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ババリ

 初めまして、いつも読ませて頂いていますが毎度物
足りなさを感じています。今日のコラムについては、
それが爆発したのでご意見させて頂きます。
 子供が軽いのは、

1、物理的理由
 子供が「抱かれていてくれるから」です。同じ大き
さ、格好、重さをしていてもフニャフニャのゴム人形
だったら持つことすら出来ません。
 綿と鉄の比較と一緒にするのは短絡的だし、子供に
失礼だよ!!!。

2、精神的理由
 saburoさんの書き込みにある「火事場の0」は?で
すが、子供を抱くのとゴミ袋を持つのでは「挑み方」
が全く違うからです。物と比較しては親にも失礼です
よ。

 コラムを読み続けているのは「そういえばそんな疑
問もあったな・・・」と気が付かせていただいいてい
るからです。再度自分で調べてやっと雑学になりま
す。
 自ら配信するのなら「投げかけ」で終わられてはた
まりませんね。


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藤島 昇

なんか今回のコメントは、厳しい意見が多いですね。

僕も経験的に、子供が軽く感じるのは子供がつかまってくれているからじゃないのかな、とも思いましたが、寝ている子供でも、うまくだっこすると、米よりは持ちやすいですね。
死体は持ったことがないのでわからないです。それが万一自分の子供なら、重い・軽いは考えもしないでしょうから意味ないですしね。

今回のコラムで僕がおもしろいと思ったのは、子供を軽く感じる本当の理由が何か、ということよりも、心理的なトリック(?)を使って、疲れや不快感を緩和させる方法がある、ということでした。エレベーターの逸話は、特に秀逸ですね。考えてみたいです。


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小橋昭彦

みなさま、ありがとうございます。もちろん、子どもの「笑顔」だけで軽くなるわけではないでしょうね。抱き方などに理由を帰するのも、笑顔だけに理由を帰するのも、内面だけに理由を帰するのも、個人的にはなじめないんです。

「笑顔」に代表される、子どもと大人の関係性があってこそ軽くなるのではないでしょうか。そういう広い視点で発想したいというニュアンスをこめたつもりですが、未熟ゆえ、伝わらなかったようですね。ごめんなさい。


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小橋昭彦

ババリさん、ありがとうございます。自分で調べていただく方向に向かっていただければ、それが拙文の願いなので、とてもありがたく思っています。そのために、毎回参考書や関連リンクの紹介をしているのでもあります。

ただ、調べが拙文の至らなさから発しているとすれば、申し訳ないことだと思います。ごめんなさい。精進してまいりますので、間違ったところなどあれば、どんどんご指摘ください。

なお、ぼく自身は、このコラムでは論を張るつもりはなく、視点を投げかけるだけの地点にとどまるように心がけています。なので、もしそれで満足されず不快な思いをさせているとすれば、本意ではないので、あらかじめご了承いただければ幸いです。


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ナガタ

5感の感覚はエモーショナルな要因で色々な形に変化します。それはみなさんもご経験あるはず。

抱きつくから軽くなるとかそういう要素もありますが、
いかに世の中の人が外側発想で行動しているかが仕事
を通して良くわかります。

小橋さんのニュアンスは、コミュニケーションプランナーとして仕事をしている私に、GW明けの憂鬱な朝に、一押し、勇気をくれました。ありがとうございました。


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purinn

小橋さんいつも楽しく拝見しております。私は常々思っていることでしたので、今回のコラムは楽しく読ませていただきました。それをコメントしようとこちらに伺いましたが母親として、したいの話までだしてこちらでコメントする方がいるのに正直驚きと憤りを感じてます。物事の神髄も大切ではありますが、少し人間の感情や想いを大切にされた方がいいかと思います。少なくとも子供を持っている母親が見てきもちのよいコメントではありませんでした。


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小橋昭彦

purinnさん、ありがとうございます。ぼくとしても、とても驚いた表現なのですが、自分の文章ではないので、このまま残すこと、お許しくださいね。

書いた側としては意図していなくても、読まれる方を傷つけることはある。今回もそういうことかも。ぼく自身は日々気をつけているつもりですが、それでも今回、鉄と綿と並べるのは子どもに失礼と感じられた方がいらっしゃるように、ものを書くというのは難しいものです。


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ミケ

子供の頃、運動神経の良い友達を背負った時は軽く感じるのに、運動が苦手な友達を背負うと、どさりと重く感じました。体重は似たようなものなのに、不思議でした。

長い時間背負うと違うのでしょうけど、運動能力の高い人は重心の移動がうまいので軽く感じるのかなあと考えたことがあります。
私も運動オンチなのです(笑)。身軽な人が羨ましくて、それ以来重心を意識するようになりました。


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大谷 聡

小橋さん、いつも楽しく読ませて頂いております。
今回が初メールです。重さについての感想は兎も角、エレベータの待ち時間と同様の事を思い浮かべました。
それ以前の遊園地の待ち時間が長く感じられたのに対して東京ディズニーランドのアトラクションの待ち時間は短く感じられます。これは家内を含めて複数の感想です。待ち時間を無駄と考えさせるか、有意義な時間と考えさせるか、主催者がお客様の事を如何に考えているかを伺わせます。結局重さも時間も主観的でその他のファクター(待ち時間の場合はその時間の付加価値)に左右されるだけではないでしょうか?


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モリやん

最近、ココを教えてもらい楽しく読ませていただいております。
見当違いになるかもしれませんが、感想を書かせていただきたいと思います。

「重い」とはなんだろう?
と、考える視点をいただいてありがたく思っております。

たとえば、文中にあるように「笑顔で軽くなる」のならば、「精神的な負担」と言ったようなものが「重さ」に関係してくるのかもしれないなぁという視点です。

今まで持っていた視点は、「持ちやすさ」と「重さ」、「体重計のメモリ」と「重さ」に関係があるというぐらいのものでした。

仕事上、人を説得しなくてはいけない状況が多くありますので、こういった視点の増える文章を提供してくれることに、とても感謝しております。(世の中に「精神的な負担」こそが「重さ」と考えている人がいたとして、今までの自分では、その人たちを説得できなかったわけですから)

これからも、さまざまな雑学をたのしみにしています。
がんばってください。
それでは、失礼いたします。




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 コラムで多数決について書いた週末、町議会選挙の投票日。16の議席に18人の立候補者。用紙に書ける名前は一人、得票数が多い順に議員に選ばれる。こうした単記投票は多数決の結果を反映しにくいと、コラムを書く際に佐伯胖教授の『「きめ方」の論理』で読んでいたので、投票行為そのものを興味深く楽しんだ。なるほど、単記投票での多数は、他の選択肢との優劣を意味しない。簡単な例をあげれば、16番目で当選した人と17番目で落選した人とで決選投票をしたなら、17番目の人が選ばれるかもしれないわけ。 優劣を反映したいなら、1位から順に点数をつけて投票するボルダ方式がある。年末の書籍ベスト投票などで見かける方法だ。この場合は、多数決の結果と一致する確率が高くなる。もっとも、18人の候補に順位をつけるなんてまず無理。そういう場合は、おおむね立候補者数の半分くらいの候補を選んで投票する方法なら、多数決の結果と一致する確率が高くなるという。ただ、選挙制度は多数決原理だけで判断できるものではなく、これだけをもってあらためるべきとは言えない。 そもそもぼくたちは選挙で、いちばんいいと思う人に投票しているのだろうか。あの人は当選確実だからこっちの人を応援しておこうなんてこともあるだろうし、ほどほどにバランスよく、それなりに納得できる方向であればいいと思っている気がする。佐伯教授の著書には、ぼくたちは「モノ」ではなく「コト」を選んでいるとあって、印象深かった。確かにぼくたちは、厳密にモノの優劣だけではなく、選ぶプロセスや、選んだ後の関係などを総合的に判断している。多数決をとりあげたコラムへの感想にも、きめ方の正確性というより、決める過程や決めた後の人間関係を含んだ意見が多く、そうだよな、ぼくたちはそうして日々を生きていく社会的な動物なんだよなと、そんな感慨を抱いたのであった。

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 買い物をして家に向かう途上、山の端に日が沈むのを子どもとカウントダウン。天が、というかコペルニクス的には地が動くのを実感する瞬間。自分たちのからだが秒速466メートルで東に向かっているとイメージできるわけではないけれど。 長い目で見ると地球の自転は徐々に速度を落としている。初期の地球は4時間とも6時間ともいわれる速度で1回転していた。それが、長い年月のあいだに減速。理由は明らかでない。海洋がブレーキをかけているともいうし、偏西風の強さ次第で自転速度に影響が出るそうだから、さまざまな要因がからまってのことだろう。 かつて地球の自転を基準に決められていた時間が、1958年からは原子時計を基準にするようになった。1日は原子時計の24時間よりわずかに長いため、ほぼ1年から1年半ごとに1日を24時間より1秒だけ長くして調整する。うるう秒と呼ばれるものだが、これが一九九九年一月を最後に実施されていない。 地球の自転速度が上がり、原子時計との差が小さくなっているのだ。国連機関の国際地球回転事業が自転を精密に測っている。それによると、1973年には原子時計より1日で1000分の3秒以上遅れていたのが、今は1000分の1秒以下に短縮。気候変動で風の分布が変わったせいなのか、地球深部で巨大地震が起こって核の形が変わったせいなのか。ともあれ長い目でみて遅くなっていた地球の自転が、近年に限っていうなら、速くなっている。 もちろん、そのことが日常生活に影響することはない。子どもと夕日が沈むのを眺めている時間が1000分の何秒か短くなったとして、決定的な違いを生むわけでもなかろう。ただ、このニュースを目にして、ぼくは自分の足元を見つめていた。この大地さえ日々変動しているという思いに、なぜか胸を揺さぶられて。

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