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ちょっと知的な雑学&トリビア

縄文語

2001年8月01日 【コラム
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 インド映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』に、主人公が馬車による逃走からふと気づくと言葉の通じない地方に来ていててんやわんやするエピソードがある。日本の言葉事情に慣れた身からはそんな光景がひどく新鮮。インドの公用語は英語とヒンディ語とはいえ、州によっても公用語があり、その数だけでも10を超える。
 インド亜大陸の南端ではテルグ語やマラヤラム語などが話されているけれど、東南端で話されているのがタミル語。全人口のおよそ5%が話しているという。5%といっても人口10億人の国、5000万人にあたるから大言語だ。
 そのタミル語と日本語に共通点を見出し、日本語の起源を南インドに求めたのが大野晋氏だった。縄文末期、船で渡来したこれらの人びとの話す言葉が、農耕などとともに広がっていったと。
 では縄文時代はどんな言葉が話されていたのか。それを縄文語と名づけ、アイヌ語がその末裔ではないかとするのが大山元氏。ワニ(今でいうシャチか)の上を渡って向こう岸に行ったという因幡の白兎の話も、シャチをアイヌ語で表現すると「沖にいる神」となり、唐突なエピソードではなくなる、などの分析を重ねている。
 日本語がどのように移り変わってきたのか、まだ定まった説はない。いまは「ホシ」と発言している空に輝く星も、室町時代には「フォシ」であり、奈良時代からさらにさかのぼると「ポシ」だったかもしれないなど、近い時代にも変化は少なくない。
 と同時に、5%が少ないと思っていたら5000万人だったとか、縄文時代と表現されてつい江戸時代などと同じようにとらえているとそれは1万年も続く長い時間のことを意味しているとか、言葉に隠されがちな真の姿のことも、ぼくたちは忘れないようにしたい。

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7 comments to...
“縄文語”
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小橋昭彦

言葉関係のコラム、最近では「いましか、言えない」として新語についてとりあげました。まず書籍ですが、とりあえず今回のコラムは、『ことばの歴史学』『古代日本史と縄文語の謎に迫る』『日本語の起源』を参考にしました。言葉関係のサイトとしては、やはり「国語審議会」と文化庁の「国語に関して」をまずはおさえるべきですね。縄文語については「日本古代史とアイヌ語」をどうぞ。「21世紀に残したいふるさと日本のことば」もよいですね。若者ことばについては「けとば珍聞」「すっきゃねん若者ことばの会」「小谷野啓夫研究室」「甲南大学都染研究室」などがおもしろいです。「辻研究室」収録の論文も有益。その他方言まで含めると日本語関係はいいサイトが多いですが、ここに紹介したサイトのリンク集からたどってみてください。


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斉野

タミル語説とか、頭から否定するのも問題だけど
あまり深く考えもせず信じている人もいるのね。
「学会では異端視されている」というだけで信じる人とか。

読んで納得したからといって考えたことにはならない。

比較的新しい本として
「新説!日本人と日本語の起源」安本美典・宝島社新書

タミル語説の件とは関係ありませんが
「日本語はいかに作られたか?」小池清治・ちくま学芸文庫


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小橋昭彦

そうですね。コラムの中でも「定まった説はない」と書きましたが、門外漢としては、どれが正しい、ということよりも、いろんな説に触れて、日本語の奥深さや楽しさを知らされることが楽しいです。


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大山 元

『知ってびっくり!古代日本史と縄文語の謎に迫る』の著者です。
拙著とHPの御紹介を賜りありがとうございます。
小橋さんのお書きになったように「どれが正しい」ということよりも、
日本語の多様性、ということに思いを致しますと、
「単一」な起源を求めること、それ自体を見直さねばならないのではないかと
考えております。

ちょっと宣伝させて頂いてよろしければ、「読者談話室」というのを設けて
ございますので、読者の方に御立ち寄り頂ければ幸いです。
HP http://www.dai3gen.net/  からお入りになれます。


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小橋昭彦

大山さんじきじきのコメントをいただけるとは思いませんでした。ありがとうございます!


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アン

山形でシャベルを「三郎」と呼んでいたのに衝撃を受けました。
シャベルの語源はわかりませんが、聞いたままなら意外と三郎のほうが近いのかも。また「掘った芋いずるな」が英語の発音に似ているという笑い話もありますね。

日本には方言があります。テレビの普及でずいぶん共通語が強くなりましたが、方言によっては通じないものもありそう。私も大山先生と同じく、単一の起源を求めるのは難しいと思います。


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大山 元

アンさん、
以前、「掘った芋いじるな」「古豆腐屋」などをアメリカ人にぶつけてみましたら、見事判ってくれました。ふぃらでるふぃあ、なんて云っても通じないのにぃ。。。(^^;)




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 日本の高さの基準は、東京都千代田区永田町にある。高さ24.414メートルの、日本水準原点だ。国土地理院では、100年あまり前から現在まで、この高さを基準に全国に約1万点ある一等水準点を測量する全国水準測量を行っている。 このほど公開された過去100年間の日本列島の浮き沈みをみてみよう。もっとも変動が大きかったのが東京都江東区で約4.5メートルの沈下。地下水のくみ上げが原因とされている。逆にもっとも隆起が大きかったのが千葉県館山市で、約1.7メートル。こちらは関東大震災で隆起したものらしい。 地震によるとみられる隆起は、紀伊半島や四国の太平洋側にもみられ、1940年代の東南海地震や南海地震によるとされる。このとき、瀬戸内海側は沈降している。 日本列島の上下動といえば、こちらは1年という短いスパンだけれど、東北地方の地殻でも見られる。国立天文台の日置(へき)幸介教授による発表だ。奥羽山脈の雫石では冬に沈降、夏に隆起と、年間で2センチの変動が観測される。雪の重みが原因だとか。奥羽山脈の西側に積もる雪のため、水平距離では、冬の日本海側は引っ張られて縮み、太平洋側は伸びている。 上へ、下へ。この大地でさえ、そうして変動していく。ぼくの双肩にかかる重みなんて日本列島のこと思えば微々たるものだと励ましもし、凝りに痛む肩をさすりつつ、今日一日をおくっている。

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 パノラマという言葉の語源は、ギリシア語にある。pan(すべて)とhorama(眺め)の合成語だ。考案したのはイギリスのパーカーで、1788年のこと。名前の通り、周囲すべてを見渡せるというほか、時代や地域的制約をも超える。たとえば1950(昭和25)年に開かれた「アメリカ博」に登場した野外パノラマは、アメリカ一周がうたい文句で、自由の女神からナイヤガラ大瀑布、グランドキャニオンから金門橋までがつながっていたのだった。 パノラマが登場した18世紀末といえば、フランスのビュフォンによる『博物学』の刊行が続き、ちょうど博物学がブームだったころ。すべてを知りたい、すべてを眼中におさめたいという欲望が、そしてまたそれができるという自信が人類にあふれていた時代だったということだろうか。 日本におけるパノラマは、1890(明治23)年、浅草公園内に開館した日本パノラマ館にはじまる。第3回内国勧業博覧会をあてこんでつくられたものだ。その後、パノラマ館はあちこちに作られるが、やがて活動写真などに主役の座を奪われていく。 いま、ぼくたちは世界のパノラマを見せられても、「すべて」を眺めたとは思わない。すでに多くの情報をもっているゆえ、パノラマといえども世界の一部でしかないことを知っている。謙虚になったようにも思えるが、じつは「すべての眺め」さえ超えて世界を把握しているという思いをぼくたちは持っている気がする。パノラマに夢を見た時代、いや、夢を見られた時代が、なんだか懐かしい。

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