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ちょっと知的な雑学&トリビア

動物の値段

2001年7月18日 【コラム
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 近所のホームセンターが改装して、ペット売場もある大きな店になった。買いものついでに、ほかでは見ることのない、ペット売場をのぞく。「わんちゃんや、ねんねしてるね」。子どもは喜んでケースの前にしゃがみこんでいる。そのケースに値札が貼られているのを、彼は知らない。
 動物にいのちだけではなく値段もあるのだというこの事実は、いつもぼくをとまどわせる。その値段は、愛情の価格なのか、単なる商品価格なのか。この価格あるゆえに、動物を愛する人への流通が促進されると考えると有益なのだけれど、密猟を生んでいるならかなしい。この「ずれ」の感覚はなんなのだろう。
 宮崎市にある自然動物園を市が買収することになり、動物一体一体につけられた価格が公開された。もっとも高いのはオランウータンで、11歳メスの価格が500万円。ワシントン条約で国際的な商取引が規制されており、入手は困難。それゆえの高値だとか。子どもたちの人気者、マサイキリンは9歳メスが220万円。ライオンは、オス、メスとも8万円。百獣の王かたなしだけれど、繁殖しやすいし、えさ代がかかるから安くなるという。
 値段をつけられる動物ってどんな気持ちなのだろうと、自分に値段がつくことを想像する。これは奴隷の売買と同じなのかと寒くなり、それから、いや違う、プロ・スポーツ選手の移籍金か、と思いなおす。チームを活性化し、観客に夢を与えてくれるなら、高額の移籍金も納得できる。
 これは、動物ではなく、夢の値段なのか。

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14 comments to...
“動物の値段”
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小橋昭彦

今日書きにくかったのはあれなんですね、この問題をイデオロギーの問題として扱いたくなかったので。このコラムで持って、なにかを主張しているわけではありません。そういう主旨でお受け取りください。


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小橋昭彦

今日の没ネタ。縦じまの正方形は横に長く見えるのに、縦じまの服はやせて見える(朝日7月6日)。車体広告、てがきありハイテクあり(朝日7月4日)。盲点は1662年フランスの物理学者が発見(朝日7月2日)。ラスコー以前の洞窟画発見(朝日7月5日)。動物キャラの新将棋(朝日6月26日)。


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とんぼのめがね

動物の値段の決め方もわからないけど ヒトの値段も
本当に自分の給料が妥当かなんて思っちゃいます。
さて 下記URLで 『自分の値段』が鑑定されます。
鑑定結果が面白いのでみなさんもお試しに...。

http://cgi.annie.ne.jp/~oku/nedan/jikken.htm


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うなぎいぬ

小橋 様
暑中お見舞い申し上げます。
初めて、メールを出します。

今日の雑学
動物の値段
そもそも、お金というものを人間がつくつた時から
全部、世界中いや宇宙全部を金で判断する基準を
人間の都合で作り、正当化したところから
殺人や、保険、銀行、つまり金の世界で世の中が
構成されているのである。
動物の値段もそうですが、人間も今だってこいつの稼ぎは
一生でこんなものだという風に・・・
かっこつけて金なんか・・・というのはたやすいが・・・
でも今の世のなか、金で解決できるものは、9割ぐらいあるのも
悲しいかな、現状ですよね

なんて思って今日も宝くじを、買うぞなんて考えている
自分が小さいと思う。
さっ0と、仕事しよ0!
サラリーマンも宮使い
えらい役職の人には、頭を下げる。
この救いは、その人の人格までに頭を下げていないので
気が楽だが・・・

頑張ってください。

From うなぎいぬ


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あおけん

人間の夢や悲しみに値段があるだろうか?在るんですね。それがトレードの数億円だの医療事故や補償には、”ご免なさい”の謝罪に対して値段がある。共産社会で、全ての財産が共有されている国にでも住めば、夢は夢、悲しみは悲しみとして、素直な精神生活が送れます。
原始社会ならいざ知らず、貨幣制度で生活する上には、金に換算する必然性を認めざるを得ません。
それにしても、話が飛びますが外務省の”泥棒ネズミ”のセコイ公金横領と詐欺罪に、幾らぐらいの罰金を取るべきでしょうね。田中角栄の娘さん!頑張ってー!


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匿名

文字化けで全然わかりません
Macのネットスケープじゃだめですか?


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横蜘蛛

いつも、なんだか皆さんと話題のずれている横蜘蛛です。
このあいだ全く久しぶりにカミキリムシに出会いました。
子供のころよく出くわした悪辣な人相のヤツと違い、確実にふたまわりは体躯が小さく、弱々しげで、手に取っても鳴きもしません。
きっとあがなった人からまぎれ落ちたのか、あきられて放られてしまったのでしょう。
苛烈だった夏。もはや記憶の中だけの夏。


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ジュモン

動植物は値段どころか自分に名前がつけられているこ
とも知らないでしょう。
名前とその意味を知ったときの反応を見たいと時々思
います。
で、お金の関係なく、人は「比較」を判断基準にして
います。
きれい。賢い。強い。大きい、、、、、比較して落ち
込んだり自信を持ったりして生きているのだと思う。
動物も財布は持たなくても、やはり周りと自分を比較
して生きているわけです。
プライスカードの無い世界で生きるものは、より過酷
なのかも。。。

「比較」は経験が頼りというのに、一生かけてできる
経験なんてたかがしれているのが、禍いの種になった
りするんでしょうかねェ。


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ジュモン

おっと!!
小橋さんが望んでいないコメントになったようだ!
送信後に、「はっ!」と
気づいたけど。
あれれーーー。

ま。

いいかあ。


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小橋昭彦

え? ジュモンさん、ぼくはどんなコメントも大歓迎なので、望むコメントも望まないコメントもないです。というか、こうしていろいろな視点、考え方をみんなで公開しあえれば、というのがこの掲示板の目的なので。

コラムのテーマとまったく関係ない書き込みは困りますが、ジュモンさんのはそういうわけじゃないし。むしろ、おもしろかったです。

比較のもんだい、楽しいです。比較方法にも実はいろいろあるので、こんどコラムにしてみます。


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津田羊子

小橋さん
ご無沙汰しております。
動物話は止まらなくなるタイプなので、しゃしゃり出てしまいました。

ウチには、猫4匹犬1匹がいます。
猫は全部貰われっこですが、犬だけはショップで購入しました。かねがね、ショップで値札を付けられた動物を見るのを不愉快に思ったりしていたんですが、猫用品を買いに行く行き着けのショップの、看板娘(犬)がとても大好きになり、欲しくなりました。
で、その犬が出産した時、1匹買いました。

その時は、ショップの方が生まれたてのたくさんの仔犬の面倒を見ている様子が、とても大変そうだったので、ウチに買われるまでの間、面倒を見ていただいたお礼と考えると、割と抵抗なくお金を出せました。

人に「馬鹿?」と言われるくらい、犬猫好きなので、今後もお金を出して買う事もあると思いますが、その時は、親犬、親猫に「産んでくれてありがとう」。ショップやブリーダーさんに「ここまで育ててくれてありがとう」という気持ちでお金を出す事にし、また、素直にそう思う事の出来るショップやブリーダーさんを選んで行こうと思っています。


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津田羊子

もいっこ。

ウチの猫のうち2匹は、アメリカン・ショートヘアーという種類です。貰われっ子なのですが。

随分昔、2匹とも連れて動物病院に行った際に、待合室でウチの猫たちを見た人が、いきなり「高かったでしょう、その猫」と声をかけてきました。
「おでこの、この模様だけで、5万にはなる」
「こっちの猫は、ここの柄が少し薄いから安かっただろう」
などと話し掛けて来て、最終的に2匹合わせて5060万、と勝手に結論を出し、ワタシに「お金持ちだねぇ」と言いました。

何だかとても悲しくてしょうがありませんでした。
その人も、犬(無論ひと目で純血種とわかる)を連れていたのに、ワタシと同じく、動物と暮らしている人なのだろうに、そんな事しか言えないの、と思いました。

この時感じた気持ちは、今でも思い出す度に、何ともいえないイヤな引っかかりをワタシの中に残しています。


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九連

動物が売ってる値段は、動物に付いた値段ではなく、これまで動物を育てたり、産むのを手伝ったりした手間賃という意味。と僕は考えてます(^o^


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さいさい

ナマケモノの値段はいくらなんでしょうか??




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Your Comment:

 最近エスカレーターで急ごうとしても思うにまかせないと思っていたら、案の定、関西の左空けがすたれてきているらしい。首都圏からの旅行者が増えてきたことが一因ともいう。 しばしば指摘されることだけれど、急ぐ人のために関西では左を空け、首都圏では右を空ける。首都圏の右空けは80年代から90年代にかけて定着したとされる一方、関西の左空けは歴史が古く、1970年の大阪万博がきっかけという。右利きの人は手すりを右手で持つから左空けにと考え、阪急梅田駅で放送が始まったとか。 どちらがいいというものではないけれど、一般的に人間は左を壁にすることを好むことをふまえると、首都圏風の方が落ち着きそう。とはいえ、優先するという気持ちからは自分が我慢して右を壁にし、左を空けたほうがやさしいとも考えられる。 いやいや。左遷という言葉からは左はむしろ下位か。事実、右と左でどちらが上座かというと右だ。とすると、右に出るものを許さないというのは、いかにも目立ちたがりやの関西気質といえるか。まてまて。ニューヨークやロンドン、パリなどでも左空けのようだから、関西気質というのはあたらない。 陸上のトラックは左回りで、追い抜くときは右側から追い抜く。それを考えると首都圏風がよさそうだけれど、仮にレーンが固定されていれば内側になる左の方が速いわけで、だったらやはり関西風か。 左といえば子ども時代よく描いた『宇宙戦艦ヤマト』はなぜか必ず左向きにしていた。船舶の側面図は通常は右向きだから、これはやはり上手から下手に向かうという優位性を感じさせようと無意識に演出していたか。歌舞伎の舞台でも権力者の位置する場所は上手、つまり観客から向かって舞台の右手が多い。 もっともそうすると強いものに立ち向かう主役は左から右への動きとなってしかるべきで、敵に向かうヤマトは右向きでもよかったはず。戦うといえば、最近の映画で印象的なシーンとしては、『マトリックス』で敵陣に乗り込む銃撃シーンは左から右への動きだったな。 左か、右か。エスカレーターから戦闘にまで想像は広がる。心臓の位置から右脳、左脳、はてはDNAの鎖の巻き方、銀河の渦まで、この話、きりがない。 うむむ、今日は右につくとも左につくともわからぬ話になった。

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 1932年、アインシュタインとフロイトの間で交わされた有名な書簡がある。アインシュタインが国際連盟からの依頼に応じて行ったもので、彼が選んだテーマは、ヒトはなぜ戦うのか、だった。フロイトからの回答には、「人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうにもない」とある。アインシュタインも、人間には闘争本能があると前提していたようだ。 たしかに、当時はマクドゥーガルが理論化した人間の本能としても、逃走や拒否、性、模倣などと並んで闘争があげられており、闘争本能の存在は一般に信じられてもいたのだろう。しかし現在、闘争本能という言葉は日常的にはともかく、学問的にはほとんど使われない。動物行動学などの成果から本能そのものへの考え方が変化してきたことが背景にあるけれど、そもそも「人間が戦うのは闘争本能があるからだ」なんてのは、同語反復に過ぎないのでもある。 映画『2001年宇宙の旅』には、原始時代から人間が集団間で争ってきたこと、そのために武器が作り出され、それが文明の発展につながったことを暗示するシーンがある。しかしじっさいは、個人的な争いはともかく、はじめから人間が集団間で「戦争」していたかというと、あやしい。日本でも「戦争」のはじまりは、農耕のはじまりと関係が深い。 戦争の「考古学的証拠」としては武器、守りの施設、武器によって傷ついた人の遺骸、武器をそなえた墓、武器崇拝、戦いをあらわした芸術作品などがあげられる。縄文時代には、これらが見られることはほとんどない。岡山大学の松木武彦助教授は、戦争は渡来者とともに朝鮮半島からもたらされた「思想」だったと指摘している。 そもそも、多くの人が傷つき倒れていくのを前に、本能だからしかたない、ではかなしい。闘争本能が人間社会を進化させてきたという表現だって、わかりすぎるだけに要注意か。どこかの政党CMじゃないけど、ほんとうに怖いことは、わかりすぎる表現の中に潜んでいるのかも。思考停止を招いちゃうもんね。闘争本能っていう言葉を、安易に使いすぎていたかもしれないと反省する。もっともっと、考えなくては。 ぼくたちは、なぜ戦うのだろう。

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