小橋 昭彦 2008年2月1日


 アラン・ホブソンといえば、夢研究の第一人者。「夢の科学 (ブルーバックス)」の著者でもあり、これはすごくおもしろい本だった。
 夢というと、「空を飛ぶのは何の象徴」といった夢判断的な考え方がまだ幅をきかせているのじゃないだろうか。
 まあ、夢の意味を読み取るのがその本人であるなら、いわばロールシャッハテストみたいなもので、夢を解釈することに意味がないわけではないだろう。
 でも、夢に神秘的な作用があるようなとらえかたは、いかにも古風。
 ホブソンは、そんなフロイト的とらえ方を一蹴し、きわめて現実的なとらえ方をする。彼が本書で問いかけているのは「心脳パラダイム」だ。
 それは、心と脳は同じものである、という考え方だ。わかりやすく言えば、脳に起きた化学的変化が心にほかならないと。
 まあ、これはこれでかなりドラスティックな考え方ではある。
 第一部でホブソンはこの考え方を説明する。覚醒に関わるアミンと睡眠に関わるアセチルコリンが制御する、アミン-コリン作動系としての生物化学的な脳の姿だ。
 その結果見えてくるのはどんな世界か。第四章にある一節を引用しよう。
「(前略)意識状態が、夢見のような正常な錯乱であろうと、アルコール離脱性譫妄のような病的な錯乱であろうと、どちらの場合も形式上同じ特徴と同じ原因を有しているのである。その共通した特徴とは、失見当識、不注意、記憶の低下、作話、幻覚、情動の過剰な高揚である。また共通の原因とは、脳内の化学物質のバランスが突然変化することである。」
 要するに、心脳パラダイムから見ると、精神錯乱も夢も同じ状態に他ならないのだ。それが、正常と異常をつなぐ橋になる。
 この橋を渡りながら、ぼくたちの意識あるいは無意識に生起するさまざまな状態を説明するのが第二部だ。記憶、幻覚、情動、活力。そしてついには「心」そのものまで。
 ホブソンの観点から言えば、神経生物学的な心脳状態こそ基盤だ。その上で、内省で把握できる意識があり、把握できない非意識がある。こうなってくると、神経生物学のもとに、心理学も哲学も精神分析も還元される(と実際ホブソンは第十二章で述べている)。
 だから本書の副題である「夜ごと心はどこへ行く?」は、「夜ごと脳はどう変化する?」に他ならない。さらに言えばそれは、「錯乱時に脳はどう変化する?」と問うことでもある。
 そこから導かれる答えは、精神疾患の治癒に役立つことになるだろう。ホブソンは第三部で、治癒につながるいくつかのエピソードを紹介している。
 心脳パラダイムはあまりに「物理的」だろうか?
 いや、仮にそれに従うにしても、それは決して機械のようなものではない。むしろ複雑系が支配する、きわめて幻想的な風景。
 ホブソンが第十二章に記した一節を引用しよう。
「水の流れや焚き火を観察し、秩序正しい流れが不規則な流れにとって代わられ、再び秩序に戻るのをよく見てみよう。同様に、意識の流れも流動し、途切れ、渦巻き、再び終結する。」
 そう、心脳パラダイムのなかでも、夢の神秘、心の不可思議は、それとして残されるのである。

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