小橋 昭彦 2002年8月19日

 週刊誌の車内吊り広告に、有名人の下着がチラリと見えた写真掲載という見出しが大きく踊っていて、なんだかなあ、と苦笑してしまった。というのは、国際日本文化研究センターの井上章一助教授による『パンツが見える。』を読んだところだったから。
 かつて日本女性は、パンツをはいていなかった。1932年に起きた東京・日本橋の百貨店、白木屋の大火災がきっかけで履くようになったと俗に言う。同著は、それが間違いであることを実証的に指摘した、おそらくは初めての書籍だろう。この事件で亡くなった一人一人の死因が下から覗かれるのを避けようとしたためではなかったことを裏付けるとともに、事故後もズロース着用率があがっていないことを、新聞の論説から拾っている。
 井上助教授は、白木屋ズロース伝説の起源は、同百貨店の専務が火災の1週間後に発表したコメントにあると指摘している。詳細は同書に譲るとして、20世紀初頭までの女性が、道端で「立ち」小便をするなど、今の常識ほどは隠すことに抵抗感がなかったという指摘は新鮮だった。だいたい当時は、ズロースを履いていれば見えても恥ずかしくないという論調なのだ。
 では下着のチラリはいつから喜ばれるようになったのか。1955年封切、マリリン・モンロー『七年目の浮気』と同じ頃のようだが、あの映画の有名なシーンが社会的な影響を直接与えたわけではないらしい。1960年代にははや、男性誌に風の強い階段といった「名所」の特集が組まれている。それまでは風が吹いたらズロースだったと残念がる川柳さえあったのに、隠されれば見たがる男心、なんだかなあ、である。
 男性の下心が白木屋伝説を生んだという指摘は鋭い。歴史的考証という隠れ蓑のもとで、和服の裾の奥が見えたという猥談にこうじたのではというわけだ。そういえば、温泉街で見かける秘法館のアヤシゲな展示を民俗的ないしアート的に評価した展覧会が人気を呼んだそうだが、その裏にも、同じような心理があったかもしれない。井上助教授は自身の著書にもそういう面はあると自覚していて、それは、このコラムも逃れない。なんだかなあ、の今ひとつの理由でもある。

3 thoughts on “チラリの誕生

  1. 小橋 昭彦様へ
    *NHKの変革を見せて頂きました。変革は必要で変化しなければ日本人が将来、残れないのではとも思いました。目の輝きを無くした物質依存症では感性も無くなるのでは無いかと思っています。
    *何時も雑学の配信、ありがとう御座います。
    雑学が無要の要に成る為に、駄洒落でなく、時々、
    自然科学系の雑学もお願いしたいと期待しています。
                       禿山一夜。

  2. 4号分くらい未読ままで、そのなかからまず初めに読んでしまったのが、このタイトル。なんだかね、である。
    恥ずかしさというのは、ほんとうに時代で移り変わっていくものです。この10年、20年でもおそらく随分変
    わったように感じます。
    何年か前に話題になって私も読んだ『逝きし世の面影』(渡辺 京二著)のなかにも、玄関前にたらいを据えて裸
    で行水をするという事実が書かれていた。
    羞恥心の歴史は、きっと真っ直ぐな線では表せない。やっぱり微妙な曲線じゃないとだめってことだろうか。

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