小橋 昭彦 2001年7月2日

 みずからの意の如く伸縮する如意棒。伸びろ、孫悟空の一声で耳から出てきたそれは、天に届くほどにも巨大化する。
 清時代、皇帝もまた如意を持っていた。もっともこちらは意の如く大きくなったりはしない。金メッキをし、豪華な彫り物をし、翡翠(ひすい)をはめ込んだりもして。豪華なものほど優れている。つまりは世の中を意の如く操っているという象徴だったか。
 如意は仏具のひとつにもある。棒状でなだらかな形をしており、先端が広がっている。要するに孫の手だ。説法等の儀式のときに用いられるが、もともとは日用品で、手の届かないかゆいところも思い通りにかけるところからきたともいう。
 世の中が意のままになればいいのにと空想していたのは十代の半ば頃までだったか。いまでは如意棒があっても使わない。思い通りになる世界なんてつまらない。思うにまかせないなかを、少しずつ切りひらいていくことに楽しさを感じている。
 やりきれない事件や事故があったときは世を動かしたいと思わないでもない。だけどふだんは、せいぜい背中をかける如意で充分。達観したのか、人間が小さくなったのか。いや、きっといまが恵まれているのだ。あなたに、ありがとう。

1 thought on “如意

  1. [2001.07.02]
    今日の没ネタ。宇宙誕生から約8億年後の、もっとも遠い天体発見(日経6月6日)。おみくじが生えたり声に応答したり、変わり植物人気(日経6月2日)。

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