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ざつがく・どっと・こむ

ちょっとサイエンスな雑学を人生にひきつけて考えるコラム集

消える言葉、残る言葉

 父が世を去った。病の再発を知らされてから2年、自宅で療養しつつ、静かにその日を準備してきた。この半年は気道確保のため声を出せなかったから、やりとりはメモ書き。その日その日のちょっとした連絡から、「ありがとう」と感謝を伝えるものまで、おびただしい数の紙片が、手元に残った。
 初七日を済ませた頃、長男に自主勉強としておじいちゃんのことを書いたら、と薦めた。そんな哀しいことをなぜと問う彼に、それが人間にできるいちばんすてきなことだからと答える。言葉があるから、ぼくたちは今はいない昔の人の教えを受けることができるし、きっと会うこともないだろう遠い国の人の思いを知ることもできる。
 言語学のスザンヌ・ロメインらによる『消えゆく言語たち』によると、世界には、およそ5000から6700の言語があるという。その多くはほんの少数の集団で使われている言葉。たとえばヒシュカリヤナ語は、既知の言語の中で唯一、文頭に目的語を置く言語というが、アマゾン川流域でわずか350人の話者を持つにすぎない。
 この100年、主要言語がすさまじい速度で拡張し、いまや100大言語で世界人口の90%を占めている。その陰で、どれだけの言語が失われてきたか。それはすなわち、それだけの数の文化や感性、生態系が失われてきたということだ。最後の話者は、その言語が支えてきたすべての世界とともに、この世を去る。マン島語最後の話者ネッド・マッドレルが、カトーバ・スー語のレッド・サンダークラウドが、コーンウォール語のドリー・ペントリースがそうであったように。
 父がつけていた闘病日誌がある。死の前々日の欄には、穏やかな体調や天候のことが書かれ、「今日くらいやったらほんまにうれしくて」とあった。ぼくは窓から、集落を、畑を、山並みを、空を見上げる。この世界を持てたことを、ぼくは感謝している。

by 小橋昭彦 : 09年02月20日

小橋昭彦 on 2009年02月20日 09:17

コラムで触れている参考書はDaniel NettleSUZANNE ROMAINEによる『消えゆく言語たち』です。

さて、本人の了解を得たので、以下に長男(小4)が書いた詩をコメント欄で紹介します。また、それに続くコメントとして次男(小1)が書いた作文を掲載します。

小橋昭彦 on 2009年02月20日 09:37

おじいちゃんとの思い出

おじいちゃんは、いつも、おやすみ、
と言いにきてくれた。
いつもにこにこしてた。
そのおじいちゃんがとつぜん
いってしまった。
さみしくてなみだが止まらなかった。
ぼくは、おじいちゃんに
「さよなら」といった。

おじいちゃんはとてもやさしかった。
ときにはきびしく
ときにはやさしくしてくれた。
すごく元気そうだった。
なくなる4時間ほどまえは、
歩いていたそうだ
そんなおじいちゃんがとつぜん
いってしまった。
ぼくはおじいちゃんに
「さよなら」といった。

(小4男児)

小橋昭彦 on 2009年02月20日 09:39

おじいちゃんがなくなった

 一月さいごの金よう日おじいちゃんがなくなりました。おじいちゃんは、いい人でした。ねるまえには「おやすみ」とボードにかいてみせてくれました。でもおじいちゃんが一月さいごの金よう日になくなってしまいました。ぼくはかなしくなりました。つぎの日よう日おそうしきがありました。バスにのって火そうばにいきました。おじいちゃんのほねをひろっておうちにかえりました。かなしかったです。

(小1男児)

通りすがりのひとみ on 2009年02月20日 10:18

子供、孫たちに見守られて...
長くも、短くもあったかと思いますが、よいお世話をされましたね。

八筬克彦 on 2009年02月20日 10:19

小橋昭彦 様

ご尊父がお亡くなりになったのですね。心からお悔やみを申し上げます。

お子様たちもご自分の気持ちを自分の言葉で伝えれるお年に成長なさったこと、ご誕生の頃から存じ上げているので、嬉しく思います。


貴兄が地方から、情報発信をなさっているのを遠く離れた地から応援させていただいています。

                川崎市 八筬

佐倉弘持 on 2009年02月20日 10:23

とってもさびしい思いをしている時に詩で気持ちを表現することはつらかったかもしれませんが、私には思いが伝わってきました。
読ませていただいて遠い40年以上も前に無くなったおじいちゃんを思い出させてくれました。私のじいちゃんは都電の運転手で乗り物が好きで良く自転車の乗せてくれました。そんなじいちゃんも病気で寝るようになってしまいましたが、君たちが感じた『おやすみ』という暖かさを私も寝ているじいさんのあごひげを触った時の笑顔とにているような思いがしました。
これからも元気でね。

よっちん on 2009年02月20日 10:25

暫くは心淋しい事でしょう。心よりご冥福をお祈り致します。
母を早く見送り、祖母は95歳で昨年他界。父だけが残りました。
人工透析をしながらの余生・・・・

死ぬまで健康でありたい。
そう願う毎日です。

ひーはは・あーはは on 2009年02月20日 10:31

ご尊父様のご冥福を心よりお悔やみ申し上げます。


長男君・次男君へ
大好きなおじいさんが亡くなって悲しい思いを沢山したと思います。うちのひーさん(3年生)あーさん(年中さん)も昨年の夏に大好きなおばあちゃんとさよならしましたが、いまでも心の中でおばあちゃんとお話しているようですよ。あなたたちの声もきっとおじいさんに届きます。元気で頑張ってくださいね。


バンガード on 2009年02月20日 10:32

二人とも非常に感性豊かなお子さんですね。

りょう太ろう君
おじいちゃんが大好きだったんだね。
いつも「おやすみ」を言いに来るおじいちゃん。
そのおじいちゃんが居なくなって悲しくて寂しいでしょうね。
でも、おじいちゃんはきっといつも君のそばで見守っているよ。
突然、知り合い(特に親類)が居なくなるのは悲しいよね。
今の「悲しい」「寂しい」気持ちを忘れないで下さい。
だからこそ、1つ1つの出会い、挨拶や言葉のやり取りを大切にして下さい。
是非、君もおじいちゃんを見習って、毎日挨拶する事を忘れないで下さい。
そして、優しいだけでなく、厳しくされた事も忘れないで下さい。
君が可愛いからこそ、君の将来を考えて厳しく道を示してくれたのです。
そう言うおじいちゃんの気持ちや教えを忘れないで下さい。

憧太朗君
おじいちゃんは、きみにとってほんとうにいい人だったのでしょうね。
それは、おじいちゃんが君をたいせつにおもっていたしょうこです。
おじいちゃんは、君のことがほんとうにだいすきだったのでしょう。
ことばをだせなくても、さいごまで「おやすみ」とボードにかいてくれたおじいちゃん。
ほんとうに君たちや君のお父さんお母さんのことがだいすきだったのでしょうね。
いまのかなしいきもちをわすれず、人にやさしくしてあげて下さい。
どうか、おじいちゃんのことを忘れないであげてください。
なにかこまったことがあって、お父さんお母さんにそうだんできない時は、君の心のなかのおじいちゃんに相談してみてください。
これまでのおじいちゃんのことばの中にきっと答えがあるはずです。
君の心のなかのおじいちゃんが答えてくれるはずです。

kmorita on 2009年02月20日 10:33

お悔やみ申し上げます。

僕の義父も2月の頭に亡くなりまして、慌しい日々をすごしました。僕にも6歳の息子と3歳の娘がいるのですが、亡くなったじいちゃんと同居してなく、普段は遠距離ということもあり、遼太郎くんたちのような、涙が止まらなく、かなしいという感情にはなかなかならなかったようです。

親としてはそういう感情になってもらい、何か感じ取ってもらいたいと思うものですが、これは無理に押し付けるものでもないわけですが・・・。

おじいちゃんとの素敵な思い出がいっぱいですね。お疲れ出ませんように。

Twill on 2009年02月20日 10:33

遼太朗さん、憧太朗さんへ
大人になると、なぜか素直になれなくなります。
悲しむ時間がなかったり、他の人の事を考えなければならなかったり。
今回書いた言葉を数年経って読み返したとき、「なんて拙い言葉だろう」と一度は思うかもしれません。でも数十年経って読み返したときにも色褪せない思いを感じることでしょう。
人は意外と簡単に思い出がすり替わることがありますが、その時に書いた物は変わりません。
今回辛い体験をされたと思いますが、書けるときは書いて、数年後ではなく数十年後の自分へプレゼントしてあげてください。
私は最近忙しく、詩を書くこともなくなりました。
でも昔書いた詩は、恥ずかしい中にも、今の自分を元気づける何かが潜んでいます。その何かは年をとった私にも、いまだにわからないのです・・・。

栗原周平 on 2009年02月20日 10:48

小橋昭彦様
御尊父様のご冥福をお祈り申し上げます。

私も2年前に在宅医療を長期続けてきた父を、母と共に看取りました。

身近で闘病を支え親子の貴重な時間を過ごした機会を今も懐かしく、そして昨日のことのように思い出します。

またデジタル化が進んだ今日では、私の兄弟などへの連絡に送ったその時期の様子がリアルに手元に残っています。

しばらく寂しい時期をお過ごしになるかと存じますが、お手元に残った言葉はどんな慰めよりも暖かい記録となると思います。

R.H on 2009年02月20日 10:54

ご尊父様のご冥福をお祈りいたします。
長年「今日の雑学」を配信していただいています。
拝見するばかりで、何のご協力もできず申し訳ありません。

男子(団子ではありません)三兄弟のご成長が、ご尊父様への
最大の贈り物になったのではないでしょうか。

言葉については、昨年のブームにつられて源氏物語を読みましたが
同じ国の中でも聞き取れないほどの方言もあり、時代によっても
まったく不明な言葉、現代とは内容が異なる言葉などもあります。

文字に書き表せるということの素晴らしさ、大切さが
ご尊父様の残されたお言葉にも沢山詰まっているとこでしょう。
お孫さん方にとっても宝物になることと思います。

papaboo on 2009年02月20日 10:57

御尊父の逝去に際し、心からお悔やみ申し上げます。


私の義母も2年半前に亡くなりました。

私が子供の時、祖父が亡くなったときもそうでしたが、身近な者が
亡くなるといろいろと慌ただしくなりますよね。

悲しみをこらえつつ葬儀・埋葬を行い、身の回りの品や遺物の整理、
ときにはちょっと現実的な話まで。

でも、子供たちにとって命の尊さを学ぶ良い機会でもあるし、
一人の命がこんなにもいろいろな人、事柄と関わって生きて
いるんだと気づくときでもあると思うのです。

私の娘たちは義母が亡くなったとき、どこまで感じ取って
くれたかは分かりません。でも、その慌ただしさは旅立った人からの
最後の贈り物であるような気がしています。

小橋さんのお父上もお孫さんたちにきっと最後の素敵な
贈り物をされたんだろうなと勝手ながら思っております。

そして、お子さんたちからおじいちゃんへの最後の贈り物も
それに負けず素敵でした。

とーこ on 2009年02月20日 11:05

小橋昭彦 様

毎晩、寝る前に「おやすみ」と言いに来てくれる、優しいおじいちゃんとずーーと一緒に暮らせたなんてとっても幸せな三兄弟です☆ 息子さん達にとって、おじいちゃんとの想い出が何よりも大切な心の宝物になるでしょうね♪

ご尊父様のご冥福を心よりお悔やみ申し上げます。

一鶴 on 2009年02月20日 11:17

小橋昭彦様
御尊父様のご冥福をお祈り申し上げます。

遼太朗くん、憧太朗くんへ
大好きだったおじいちゃんから
たくさんのたいせつなものを
もらったあなたたちは
とてもしあわせだとおもいます。
いきていくうえでとてもかなしいことに
打ち勝つつよさももたなければいけません。
いつでもどこにいても
おじいちゃんがみまもってくれていますよ (^0^)

長尾文雄 on 2009年02月20日 11:41

小橋様
お父上のご冥福をお祈りいたします。
息子さんを父上の死に立ち会わせ、肉親の「死」に直面させることを選ばれたことに敬意を表します。
息子さんの心の中に、「さよなら」という言葉が刻まれたことでしょう。
地域起業家養成研修第2期生養成の事業も新しい試みとして、力にはなれませんが、見守っております。若い人たちが山を守り森を守り、田畑を守り、それで生活ができっることを心から願っております。持続可能な生き方を創るのは、若者に托すしかないと思っております。

静岡市 糠谷雄祺 on 2009年02月20日 12:19

小橋昭彦様
御尊父がご逝去なさったとの事。心よりお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈り致します。ご生前には、随分親孝行をなさった事と、拝察致します。幾らしても、したらないのでありましょうが。私自身、76才になり、ふと、人生の終末を考えている自分に気付くことがあります。御尊父もどのようなお気持ちで過ごされたのか、心いたみます。

コグレマサト on 2009年02月20日 13:07

心よりお悔やみ申し上げます。書いて下さってありがとうございました。こどもたちの詩がとても素敵ですね。きっと、おじいちゃんがいつまでも見守ってくれると思います。

mohyo on 2009年02月20日 14:02

小橋昭彦様

御尊父様のご冥福を心から祈ります。
お子様のご成長も楽しみにいたしております。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

祖母とめったにみられないという星を見ていたら次にこの星がくるとき
私はいないよという。どきっとして悲しくてもどういって良いかわからす
黙ってそらをみていました。

今母は92歳で病院にいます。今年は車いすに乗れないのですがベット
を引っ張って病院のさくらをみました。来年もみられたらよいなあと
心から思いました。

初めて死に直面したのは祖母の死でした。火の中に入れられたときは
いたたまれなくなりました。もう骨になってしまうのです。わたしは
走って煙突から出る煙をみあげました。

悲しいのに妙な安心感がありました。死ぬのは怖いと思っていたのが
死んでもお婆ちゃまがいてくれると言う安心感です。

私は今66歳です。お父様のマガジンを読ませていただいています。
特に最後のお子様の様子がたのしみです。

でも高校生くらいになったら、俺のことは書くなよといわれそうね。
だからそれは君たちの自由でいいですよ。

君たちが大きくなっても許してくれたらずっと読むよ。でも66歳
だからいつまで元気にパソコンをみていられるかなあとふと思いま
した。

祖母があの星がつぎに来る頃私はいないよといったように。

穏やかな古里で元気に大きくなってください。

さちこ on 2009年02月20日 15:02

わたしは18さいですが
まだ、おじいちゃんにもおばあちゃんにも
さようならをしたことがありません

とても、かなしいきもちになりました
けど、とってもやさしいきもちもたくさんありましたね

わたしもおじいちゃんおばあちゃんだいすきです
だから、もっともっとなかよくしたいとおもいました


さよならが言えるなんて、とてもつよいですね
わたしもおじいちゃんのためにおいのりします


ご冥福をお祈り致します

さぎり on 2009年02月20日 16:27

おじいちゃんのために、わたしもおいのりをします。

わたしのおじいちゃんは、わたしのけっこんしきの、
たった1かげつまえに、なくなってしまいました。
けっこんしきで、わたしのきるドレスを、
とてもたのしみにしていてくれたのに。

きっと、きみたちのおじいちゃんも、
きみたちが、どんなおとなになるのか
たのしみにしていたとおもいますよ。
おおきくなったときに、おじいちゃんに
みてみて、ぼく、こんなおとなになったよ、
と、おしえてあげたいですね。

たいせつなひとをなくすのは、かなしいですね。
こころのきれいな、きみたちのことばをよんで、
わたしも、たいせつなおじいちゃんのことを
きょう、おもいだすことができました。
ありがとう。

山名純吾 on 2009年02月20日 17:24

だいじな人がいなくなると、さびしい。

涙がでるほどつらい。

だけど、目にみえないけど、きっとそばにいてくれる。

いなくなっても、だいじな人は、ぼく達をやさしくつつんでくれる。

私はなにも信じていないけど、このことは本当だと思います。

りょうたろう on 2009年02月20日 20:01

ありがとうございます皆さん
心がいやされました。
うれしかったです。

おおにし on 2009年02月20日 21:55

ご冥福(めいふく)を、心よりお祈り申し上げます。
私も、去年の9月に父を亡くしました。

追記、というか、蛇足かな。

丹波弁で書いたのも読みたいです。

doji on 2009年02月21日 09:03

おとうさまの ご冥福を心から
お祈り申し上げます (合掌)
いつもお子さん達の成長振りを
わずかな行数で表現されている小橋さん
その血をしっかりおこさんたちも受け継いでいると
詩を拝見して感じました
かなしい出来事を乗り越えて
そして その感性をそのままに
大人になって欲しいと 願います

成田 和之 on 2009年02月21日 15:12

たいへん月並みな申し方ではありますが、心から深くお悔やみ申しあげます。人はみな言葉によって生きています。月並みとはいえ、一々の言葉には、その心を伝える言霊がこもっていると信じます。
昨年、私は、亡父の十七回忌と亡母の三回忌とを済ませました。最近とみに、私は、亡父に似てきた自分を感じています。亡き母と会話を交わしているような思いに思わず囚われることがあります。父に似てきた自分をなんだかいとおしく思ったりもします。これもまた月並みな言い方ですが、時日を経るとともに、今は亡き人がいまなお自分の中に生きていることを実感しています。心から、ご冥福をお祈り申しあげます。

岡本真@ARG on 2009年02月22日 22:13

心からお悔やみ申し上げます。

おつらい時期にARGカフェへの参加をお願いし、心苦しい限りです。

私はいまだに叔父叔母たちから、妬まれるくらい祖父に可愛がられた経験と記憶を持っています。おじいちゃん子という言葉をそのまま体現したのがいまの私でしょう。その経験と記憶は、確かに私のいまをかたどっており、心から祖父を尊敬し感謝しています。

きっとお子さんたちにとっても、おじいさまの存在は彼らの姿をつくる大きな礎になるのでしょうね。お子さまたちがいつまでもおじいちゃんのことを想い続けますように。

じんま神 on 2009年02月23日 09:28

おじいちゃんのご冥福をお祈りいたします。

私は妻共々両親が健在です。
この年でありがたいことだと思います。
うちの子供たちはおじいちゃん、おばあちゃんたちに愛され慈しまれ、本当に幸せと思います。
しかしいずれこの世での別離に直面し、人が死ぬということ、でも実はいつまでも生きているということを知ることになります。
思い出せばいつでも、おじいちゃんはあなたのそばに居ますよ。
たくさんの思い出、暖かい気持ちを忘れずにいてください。

こうたろうーママ on 2009年02月23日 15:52

りょう太ろうくんへ、しょうたろうくんへ、

わがやにも小学校2年生のこうたろうという男の子がいます。でも、こうたろうのおじいちゃんはこうたろうが生まれる前になくなってしまい、いちどもあったことがありません。こうたろうの中にいるよ、とはなしていますが、やっぱりあえたほうがよかったよね。

だから、二人はラッキーかもしれません、おなじじかんをおじいちゃんとすごせて。おじいちゃんのおもいでをたいせつにしてくださいね。


小橋昭彦 on 2009年02月25日 08:40

たくさんの方に言葉をいただいて、ほんとうに嬉しく思っています。

これは正直な話として、ぼくが田舎に帰る決心をできたのは、『今日の雑学』を通した読者の皆さんとのつながりがあったからです。ですから、もしも父の最期が家族に囲まれた仕合せなものであったとすれば、それはひとえに、こうして支えていただいている皆様のおかげです。とても、感謝しています。

子どもにはネットでの書き込みをさせないというルールを決めているのですが、今回は例外、りょうたろうに、みなさんへの返事を書くように言いました(6つほど前のメッセージ)。「いやされました」なんて表現が出てきたのにはびっくりしましたけれども。

いつもありがとうございます、お久しぶりです、あるいは、またお邪魔させていただきます、あるいは、今もお読みいただいていてとても嬉しいです、など、おひとりおひとりに対してご返事をさせていただきたいところなのですが、すみません、すべての皆様に、感謝の気持ちをお伝えさせていただきます。

ほんとうにありがとうございます。

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