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ざつがく・どっと・こむ

物語×雑学の愉しみ、ザツガク・ノヴェル

第二話 コギトまでの〇・三五秒

 消えた人は追いかけなくてはいけない。駆けていったウサギは探さなくてはいけない。『不思議の国のアリス』に、そうあった。いや、少なくともそれがぼくがあの小説から読み取った最初の教訓だった。
 手始めに何をする?
「コンピュータ?」
 起動した。あわせて、窓のシェードが淡めに調整され、部屋が明るくなる。「ぼくは今何分ほどあの世界にいた?」
「〇・三五秒」
 聞き違えたのだろう。ぼくは部屋を見回す。いつものリビング。もちろんそこにコンピュータが実体として存在するわけではない。壁掛け時計や電球やプロジェクターや窓、そうしたものに遍在している。
 ぼくはソファから身を起こし、フロアテーブルに載ったコーヒーを手にした。まだ温かい。
「繰り返して」
 コンピュータに問い返す。返事は壁に貼られたスピーカーからあった。
「〇・三五秒」
 コーヒーカップを置いた。
「冗談」
「検索ですか、その語で?」
「違う。ぼくが今経験した時間がわずか〇・三五秒のはずはないと言ったんだ」
「事実です」
「どういうことだ」
「質問を具体的にしてください」
「ぼくは間違いなく仮想世界にいたのか」
「いました」
「地図を」
 プロジェクタが起動し、壁に仮想世界の地図が映し出された。
「座標はどこ」
「記録なし」
「記録が無い?」
「肯定」
「ぼくは仮想空間にいたんだね」
「いました」
「いたけど、座標の記録がない」
「肯定」
「なぜだ」
「記録が消えています」
「誰かが削除したのか」
「回答不能」
 クラックされたとも思えないが。あるいはバグでもあったのか。
「ぼくは仮想空間で何をしていた」
「記録なし」
「座標だけじゃなく、すべてのログが消えているのか」
「肯定。ログインからログアウトまでの〇・三五秒間の記録がすべて消えています」
「それにしても、ずいぶん長くいた気がする」
「肯定」
「肯定?」
「主観時間と客観時間は違います。二つに差があることはありえます」
 何かがひっかかった。が、さしあたっての疑問から追うことにする。
「意味はあるのか」
「何について?」
「〇・三五秒だ。その時間に何か意味はあるのか」
「推論しますか。推論には時間がかかりますが」
「いや、いい。こちらでやるよ。関連情報を出して欲しい」
「検索時間五秒、経験価値基準で結果を拾います」
「それでいい」
「……脳が運動を指示してから、運動しようと意図するまでの時間」
「何だそれは」
「検索結果の一番、フィーリング・ラッキーな結果です」
「それはわかってる。論理がおかしくないか」
「何の論理でしょう」
「運動しようと考えてから脳が動きを指示するのが普通だろう。だけど……。繰り返して」
「運動しようと考えてから……」
「違う、さっきの『フィーリング・ラッキー』を」
「脳が運動を指示してから、運動しようと意図するまでの時間」
「ほら、逆転している。意図に先立って脳が指示するなんて、論理がおかしくないか」
「そのとおりの結果です」
「詳細を」
 ベンジャミン・リベットという学者による実験報告だ。「手元に」
 フロアテーブルに置いたペーパに表示が転送される。ざっと目を通す。「そうか、この話は前にも読んだことがある」
「経験価値基準の検索ですから」
「関連書を」
 蔵書録からいくつかがピックアップされ、表紙画像と概要が壁に投影される。『マインド・タイム』リベット自身が著した書だ。『ユーザー・イリュージョン』こちらは科学ジャーナリストが書いた。日本語版の副題は「意識という幻想」。幻想か。先ほどまでの出来事が脳裏によみがえる。
「ソファを柔らかく」
 ソファの弾力が増した。「手元に」
 書籍の内容がペーパに転送される。ゆったりと背もたれに身体を預け、ディスプレイされた蔵書の関連するページを読む。
 ベンジャミン・リベット。人間の自由意思による行動と、脳のはたらきの関係を調べた実験だ。被験者は、脳の準備電位を計測しながら、自分が好きな時に指を動かし、動かそうと意図した時間を申告するよう求められている。計測ポイントは三点。被験者が報告する動作を意図した時刻と、脳の準備電位の発生時刻、そして実際の指の動きを反映する筋電図の時刻。
 準備電位?
 辞書ウィンドウ、ポップアップ。
 準備電位とは、脳が運動を指示するときに流れる電流。コーンフーバーとディーックが一九六五年に発見している。リベットらの実験では、行為のおよそ〇・五五秒前に発生したという。
 ウィンドウ、クローズ。
 とすると常識では、被験者が指を動かす意図がまず記録され、次に脳が運動を指示する準備電位、最後に動作を示す筋電図が現れるはず。ところが、実際には違う。被験者の意図が、準備電位よりも〇・三五秒遅れて記録されているのだ。被験者の報告が遅れたわけではなく、事実として脳からの指示が先立ち、被験者による動かそうという意図が後追いしている。
 それが、〇・三五秒。
 ぼくが、めもあある美術館にいた時間でもある。
 ぼくは思い出す。この研究に価値タグ(本のページ端を折る行為を模して犬耳タギングと呼ぶ人も多い)をつけた頃のこと。
 オリンピックの夏だった。アテネだったろうか(あるいはペキン?)。ぼくは一〇〇メートル走のレースを観ながら、この結果について考えていた。
 条件反射ならともかく、自分が好きなときに指を動かしているのに、意図する前に脳が行動指示を出している。そんなことがありえるだろうか。たとえば彼らはどうだろう。一〇〇メートルを十秒内外で走りきるアスリートたち。
 彼らのスタートは、自由意思のように思える。走るぞと意気を込めて、足を踏み切る!
 でも、ともうひとつの声がする。
 でも、〇・三五秒といえば、一〇〇メートル走にあっては、優に数メートルの差になる。号砲を聞いて、スタートを決意して、筋肉を動かす、そんな悠長な流れだろうか。スタートを意識したときには、走り出していないか。
 〇・三五秒。
 自分の身体を、自分の意思で操っていない?
 ぼくはまた、どこかへ迷い込もうとしているのだろうか。

 コギト・エルゴ・スム

 壁に二番目の結果が表示されている。
 デカルトの言葉だ。われ思う、ゆえにわれあり。世界のすべてを疑い、はぎとっていく、それでもなお最後に、疑っている自分が残る。それがコギト、思考する自分。自分の根拠を、意思を持つ自分においている。そう、これが現代的な考え方のはず。自由意思を重視する。
「消して」
 プロジェクタが消える。ぼくは窓から外を見る。視線を察知して、シェードの透明度が上がった。もう夕暮れだ。庭の椿の白い幹が、オレンジに染まっている。
 われ思う、ゆえにわれあり。
 ああ、でも。
 コギトから遊離した自分の例は、いくらでもあげられる。
 たとえば駅から自宅まで歩くときもそう。慣れた道なら、気づかないうちにたどり着いている。誰かに名前を呼ばれたときはどうだ。さきに「はい」と応えてから、相手を意識し、自分が返事したことを意識している。
 自分の行動を起動するのは、意思ではない。コギトのない「自分」がそこにいる。
 目を閉じる。
 ソファに身体が沈み込んでいく。身体から、皮膚がはがれていく感覚。皮膚はそこにつながった多くの糸によって引かれている。糸を操るのは?
 自らの意思ではない。そこに「自分」はいない。
「それでも、そこから探し始めるしかない」
 コンピュータの声がした。驚いて目を開ける。といって、見るものはない。
「コンピュータ?」
 さまよった視線を、手元のペーパにやる。

 意識は制御する。

 なんだろう、このフレーズは。リベットの書籍からの引用だったろうか。
 思い出せない。なにか、重要なことだった気がする。 
「これは何だ?」
 ぼくは尋ねる。
 間があった。「どうした?」
「アテネ、」
 ひとり言のような、コンピュータの声。「あるいはペキンでもそうですが、当時犬耳タギングなんてありません」
 答えになっていない。どうしたんだろう、先ほどから反応がずれている。思考ルーチンのブラッシュアップに必要なサブ・プロセス? そうとも思い、応じる。
「まさか、今使ったじゃないか」
「当時、そこまですすんだライフログは実用化されていません」
 ぼくは身を起こす。ぼくは何と対話している?
「きみは誰だ」
 部屋の照明が落ちる。
 西日のオレンジに、部屋が染まった。
 再び、間があった。
「『アイボリー』という小説を知っていますね」
 オレンジ色の闇からコンピュータが尋ねてくる。知っている。マイク・レズニックによる未来小説だ。「あなたはその中に出てくる対話型コンピュータが理想だと言っていませんでしたか」
 そんな覚えがある。「わたしは、そのコピーです」
「ちょっと待て」
 ぼくは二度、三度息をつく。この対話も、ぼくの記憶から生まれているというのか。つまり。「では、きみも幻想か」
 尋ねるぼくに、抑えた声でコンピュータが答えた。
「あなたはまだ仮想世界にいる」
 言葉とともに、すべてが遠ざかる。橙色の光だけが残り、濃さを増した。
「それはフェアじゃない」
 思わず声をあげていた。
 これではさっきと同じ展開じゃないか。対話があって、喪失がある。
 おまけに、仮想から抜けてまた仮想だなんて。いい設定じゃない。読者は何を信じていいのか、わからなくなる。いい設定じゃない。
「ふむ」
 橙色の向こうからコンピュータが答えた。「いい指摘です」
 だろ?
「でも」
 コンピュータが続けた。「これがこの世界の構造」
 すべてが消える。橙色だけが残った。
 おい、ぼくはオレンジの虚空に呼びかけている。声は、黒いしずくになって虚空に散った。そのままこだますること無く、橙に渦を描いて溶けた。ぼくは虚空を見つめ続ける。
 そこに、コンピュータが猫の姿をしてにじみ出た。小太りの三毛。
「ちなみに」
 猫が言った。「今、あなたとの対話に要した時間はご存知?」
 また、消えた。
 おい、質問だけして消えるなよ。
 ぼくは待った。もう一度、猫が現れる。
「答えは〇・二秒です」
 そう言って、にやにやと笑う。
 どこか見覚えのある風景。ぼくは猫をにらみつける。ふと気づく。
 にやにや笑いだけ残して、消えるんじゃないだろうな。
 その通りになった。
 残されたにやにや笑いが薄れるとともに、霧が晴れるように橙色の光も消え、世界が戻ってきた。
 喪失の繰り返しに、苦い味が残る。
 〇・二秒。
 最後の言葉がひっかかって、しばらくその意味を考えた。
 計算は簡単。〇・五五秒マイナス〇・三五秒。脳が動作を指示してから筋肉が動くまでの時間が、〇・五五秒。そこから、意図するまでの時間を引く。その答えが、〇・二秒。引いて残るのは、意図してから筋肉が動くまでの時間だ。要するに、意識が、現実世界に反映されるまでの時間。
 はじめに、〇・三五秒。
 つぎに、〇・二秒。
 それだけを経て、ぼくは、今ここにいる。
 燕の鳴き声が聞こえた。
 そうか。
 ぼくは部屋を見回す。午後の、書斎。日はまだ高い。
 燕の声が入ってくる窓を見る。レースのカーテンが五月の風に揺れている。すーっと滑る燕の姿を追った。
 山々に若葉が萌えていた。つい先週まで枯れ木色だったのに、今は鮮やかに青い。そのまま視線を上げていく。空は青く、見える範囲に雲はない。遠く、ヘリコプターの音。姿を探すが、軒に切られた空の向こうらしい。そういえば今週は、北谷で松くい虫の防除作業をすると言ってたっけ。
 机の端に置いた、ペットボトルの水を飲む。
 なるほど。
 そういうことか。
 はじめに、〇・三五秒。
 つぎに、〇・二秒。
 ぼくは今、現実世界(リアル)に、いる。

by 小橋昭彦 : 07年07月26日

目次

小橋昭彦 on 2007年07月26日 17:26

本文で触れた書籍を紹介しておきます。ベンジャミン・リベット(2005)『マインド・タイム 脳と意識の時間』岩波書店、トール・ノーレットランダーシュ(2002)『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』紀伊国屋書店。それから、アリスはいろいろなバージョンがありますが、たとえばルイス・キャロル(2000)『不思議の国のアリス』岩波書店をどうぞ。

縁起空 on 2007年07月30日 20:02

「コギトまでの〇・三五秒」を読ませて戴きました.あっと言う間に惹き込まれて,心の問題の核心に近づいている様な興奮に圧倒されました.最後は「アレッ」と不思議な余韻だけが残りました.小学生の頃から50年近くSF小説や不可思議な本を色々と読んでまいりましたが,これほど短時間で空間から離れて心の宇宙に入り込んだ様な感覚に陥ったのは初めてです.どう表現してよいのやら今もわからず困惑しています.脳の働きと心の本当の姿とは?…今夜は眠れそうもありません.定年退職してもずっと考え続けそうな気がしております.啓示の様なショートショートをありがとうございました.

時計 on 2007年07月31日 18:28

小説(?)をここまで楽しく読んだのは、久しぶりです。
続き、とても期待しております。

小橋昭彦 on 2007年07月31日 21:35

縁起空さん、時計さん、いつもありがとうございます。

偶然かとは思いますが、狙ったようなハンドルネームでの感想であるのが、作者としては意味を感じて感激したりもしています。

多少形而上的であることを心配していた回だったので、いただいた感想に、たいへん心強くなりました。心と脳のもんだいについては、6回目くらいでひとまずの着地を予定しています。

これからもよきアドバイス、お待ちしています。

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