小橋 昭彦 2008年2月6日


 自分勝手とは何か。
 自分にプラスかマイナスかを横軸に、相手にプラスかマイナスかを縦軸にグラフを描いてみよう。自分にプラスで相手にプラスなのは共存共栄。自分にマイナスで相手にプラスなのは利他行動。そして、自分にプラスでありつつ相手にマイナスなのが、自分勝手と定義される。ちなみに、自分にマイナスで相手にもマイナスなのは単なる嫌がらせである。
 自分勝手は良くない。やめよう。言うのは簡単だが、実行するのは難しい。ゲーム理論を用いてそのことを説明し、それでもなおかつ、自分勝手をやめるようにするにはどうすればよいかを、大浦宏邦さんは探っている。ゲーム理論への分かりやすい入門になっている。
 自分勝手にも二種類ある。
 今、相手と二人の関係を考える。自分勝手な行動をすると自分は20円もらえ、相手は10円損するというルールとしよう。仮に両者が相手のことを考えて何も行動しないと、差し引きはゼロ円である。一方、相手が損をしてもいいからと、両者が自分勝手な行動をすると、二人とも10円もらえることになる。こういう場合の自分勝手は、いわば良い自分勝手だ。経済社会における「競争の原理」は、おおむねこの考え方と言えるだろう。
 ルールを少し変えてみよう。自分勝手な行動をすると20円もらえ、相手は30円損すると考えるとどうか。お互い何もしないとゼロ円というのは同じだ。では、それぞれが自分勝手に行動するとどうなるか。二人とも10円損するのである。これは悪い自分勝手だ。
 前述のどちらの場合も、相手が自分勝手をする場合としない場合を検討し、自分にとっての最善手を合理的に考えるなら、自分勝手をした方がよい。両者にとってそれは同じで、合理的には二人とも自分勝手をするところに落ち着く。いわゆるナッシュ均衡だ。
 ただ、前者の場合はそれが全体にとってしあわせ(パレート効率という)だが、後者の場合は不しあわせ(パレート非効率)になる。問題は、パレート非効率になるとしても、合理的には自分勝手が「やめられない」ことだ。
 こうした状況を「囚人のジレンマ」というが、それが繰り返されるときを考えるのが進化ゲーム理論である。
 その場合、はじめは協力し、あとは相手と同じことを繰り返す「しっぺ返し戦略」が良いことがわかっている(「上品でいこう」参照)。
 もっとも、人間の場合、集団で暮らしている。ここに「共有地の悲劇」というやっかいな問題が発生する(「共有地の悲劇」参照)。5人の集団で、10頭までなら問題なく飼える牧草地を管理していたとする。収益は1頭5万円。10頭を超えると発育が悪くなり、1頭につき2万円の収益低下が起こるとしよう。
 この場合、各人にとっては、少しでも多く飼う方が合理的なのだ。こうして牧草地は荒廃してしまう。
 これを解決するギンタスのモデル(サンクション=罰則=を導入する)についての説明がていねいだ。こうした流れでの説明はこれまで目にした記憶がなく(不勉強?)、とても興味深く読み進めた。
 ギンタスのモデルは、自分勝手を防ぐ手法だ。
 ところが、その先にさらに問題がある。
 自分勝手を防ぐシステムとは、自集団の最大利益を目指すためのものだ。では、仮にその集団が他の集団との社会的ジレンマに直面するとどうなるか。
 自集団勝手は、やめられないのだ。
 仮に集団内に、他集団と仲良くしよう、そのために自分たちの損も我慢しようという人が現れたとする。すると、それは自分勝手な行動と認知され、サンクションの対象となってしまう。自分勝手を防ぐシステムが、自集団勝手を防ぐことを妨げるのだ。
 このほか、ゲーム理論をめぐっては「共感」「権威主義」「評判」など、社会を読むキーワードが多い。これらもていねいに拾われている。
 自集団勝手をめぐる研究が、いま社会的ジレンマの研究者の間で進んでいるという。ある意味社会を抽象化してとらえるこの窓の向こうに、21世紀の協力社会が見えてくることを期待したい。

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