小橋 昭彦 2005年11月17日

 地球に接近した赤い惑星を指差し、小学1年生の長男にあれが火星だと伝える。あの小さな光に向けて、人類はロケットを打ち上げた。宇宙船はかの地に降り立ち、走査。そのカメラを通じて、ぼくたちはすでに赤い大地を「見て」いる。部屋に戻って火星の風景を写真集で追った。この星空に延長された眼を先に持った子は、ブラッドベリの『火星年代記』の詩情をどう読むのだろう。
 そんな思いから、あらためて写真の歴史をたどる。カメラの語源となったカメラ・オブスクラは、ラテン語で「暗い部屋」を意味している。壁にあいた小さな穴から入る光が、暗い部屋の壁に外の風景をうつす。天文学から娯楽まで、広く利用された現象だ。東京都写真美術館監修の『写真の歴史入門』では、これを「第二の視覚」と呼び、第三の視覚である写真と区別している。そして、写真が第一の視覚である裸眼や第二の視覚と決定的に違うのは、「物」であることだと指摘する。平面に固定され、手渡すことのできる「物」。
 なるほど、写真は時間という経験を「物」化する。並行して読んでいた『木村伊兵衛と土門拳』で、三島靖氏がふたりのフィルムのコンタクトを比べ、街角の風景を撮るにあたって、土門が対象を執拗に追ってシャッターを繰り返し押しているのに対し、木村は前後数枚しか撮っていないと指摘している。時間を追い続けた土門の写真が一瞬を切りとった鋭利な「物」となり、一瞬しか撮らなかった木村の「物」には時間の流れを感じるのが、なんだか意味深い。
 そんな思いをたどりつつ、唐突に、そうか、インターネットのライブカメラ映像は、カメラ・オブスクラだったのだと気づいた。ライブカメラ映像に引き起こされる感興がずっと不思議だった。それは、「物」化されない、こぼれていく時間を見ていたゆえだったのだ。だとすれば第二の視覚は、今も生きている。そしてこの子が成長する頃には、それは星の世界にも伸ばされていることだろう。

2 thoughts on “カメラ・オブスクラ

  1. ブラッドベリの『火星年代記』。初めて火星に降り立つ人類は、この一冊を手にしているでしょうか。映像化された作品も思い出に残っていますが、なんと『DVD化』されるんですね!
    さて、火星からの映像は「Mars Exploration Rover Mission」などでどうぞ。写真集『ビヨンド』がお薦めです。
    インターネットのライブカメラ、たとえば「草むらカメラ」でゆったりやってください。今にして思えばこれを企画したときも、「物」じゃなく「時間」を伝えたいと考えていたのでした。
    コラム中で紹介した書籍は『木村伊兵衛と土門拳』『写真の歴史入門 第1部』『写真の歴史入門 第2部』『写真の歴史入門 第3部』『写真の歴史入門 第4部』です。

  2. 時の流れを物に込め、物に込められた時の流れを想起する。
    芸術とは、そういうものなのかなと、ふと思いました。

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